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30年前のイタズラ

先日、大叔母が亡くなった。

大叔母には子供がなく、主にうちの母が世話をしていたのだが、介護度が高くなり、今年、押切のグループホームから庵原の特養に移動していた。少し前から、施設の人に「覚悟はしておいた方がいい」と言われていたのだが、多少、持ち直していたので2017年を迎えることはできるんじゃないか、と思った瞬間もあったが、大叔母は年を越すことができなかった。残念だ。

先日、豊橋の叔母夫婦がお見舞いに来てくれた際に、一緒に会いに行ったのが最後になってしまった。むしろ、僕らの代よりも、うちの子供たちの方が、母に連れられて何度も大叔母の元に通っていたくらいだ。

転職して千葉に引っ越した下の弟も、急遽、先週、面会に来たばかりだった。

亡くなった当日は、一番上の伯母が泊まり込んでいたのだが、ベッドの脇で読書をしていた伯母がその死に気付かなかったくらい、自然な死だったようだ。

大叔母はクリスチャンだったので、清水のとある教会で彼女の前夜式と葬儀が執り行われた。

葬儀で賛美歌を歌うのは初めてではない。子供たちを抱えて葬儀に参列しながら、僕は学生時代に亡くなった後輩のことを少しだけ、思い出した。

教会での葬儀の後、僕らは清水斎場という斎場へと赴いた。

船越堤よりもうちょい先にある火葬場で、子供の頃にも何度か来たことがあった。

もちろん、子供の頃はただ連れられて行っただけだったので斎場の場所なんて覚えてないし、名前も知らなかった。

でも、父の運転する車が、その斎場の駐車場に着いた途端、思い出したのだ。

ああ、ここだったって。覚えているものだ。

祖父の葬式の時、ここに来た。そして、祖父母の隣家の駄菓子屋のおじさんが亡くなった際も連れられてきたっけ。

で、ふと思い出したこと。

今でこそ違ったけど、子供時代、火葬場の待合室は、タバコの煙でむせかえるほどだった。

だから、僕たち従兄妹連中は、待合室の外で遊んでいたのだ。

そんな時に、従兄の一人が、うちの上の弟に悪戯で飴の包み紙に石を入れて渡したのだ。「ほい」と何気なく。

弟は中身を確認せずに、そのまま口に放り込んだ。

もちろん中身は石ころなので、「うわ、石だ!」となる。

で、従兄が笑い転げる。弟、怒る。

……そんな些細ないたずらがあった。

大叔母の葬儀で車が火葬場の駐車場に入った途端、その思い出が、蘇った。小学校の頃の話だ。

前後の流れなんてまったく覚えてなく、イトコが弟に石を食わせた。

弟は確認せずにまんまと引っかかった。

その事実だけはなんとなく覚えてたんだが、火葬場に着いた途端、そんなどーでもいいことが涙雨の中、鮮明に蘇ったのだ。

大叔母の棺が焼き場に入り、タバコの煙なんて一切ない待合室で弟に確認したら、まさにそうだった。

僕はイトコ兄弟の弟の方が犯人だと思い込んでたけど、弟に確認したら兄が犯人だったとのこと。

30年前のイタズラだ。

まあ、なんていうか……どうでもいい話だけれども、

思い出っていうのは、消えないものだね。

あの時、子供だった自分がこうして幼子を抱えて同じ場所で、親族の死を見送っている。

なんだか不思議な気分で曇り空を見上げたのだった。