出水秋成『A SHU RA』
映画のノベライズ、というジャンルが世の中には存在する。
小説を映画化するときには、大幅なアレンジが加えられることが多いが、映画を小説化するという行為は、なるべく元の作品に忠実であろうとする、という傾向がある。
小説『バトル・ロワイアル』をベースにした映画『バトル・ロワイアル』が存在するが、設定はかなり違う。
そして、その映画『バトル・ロワイアル』の設定を継承した映画『バトル・ロワイヤルII 鎮魂歌』が製作され、そのノベライズ『バトル・ロワイヤルII 鎮魂歌』が執筆された……なんてこともあった。
もちろん、原作小説と、ノベライズの続編との間には、連続性は欠片もない。
また、映画『ブレードランナー』の続編小説として描かれた『ブレードランナー2 レプリカントの墓標』なんて作品もある。
勿論、『アンドロイドは電気羊の夢を見るか?』の続編などでは決してない。
ぶっちゃけ、ややこしいことこの上ない。
そんなわけで、原作付き映画を中心にしたノベライズや映画の続編小説などは、なるべく避けるようにしていたのだが、思うところあって『A SHU RA ストーリー・オブ・ザ・ムービー 阿修羅城の瞳』を手にしてみた。
本書は、そのタイトルからもわかるように、映画『阿修羅城の瞳』を小説化したものだ。
映画版『阿修羅城の瞳』のアレンジを読み解くために必要かな、と思って読み始めたのだが、割と面白かった。
絵的なディテールを深めることに執心している映画版だが、四代目鶴屋南北などという実在の人物を登場させている割には、その辺りの嘘(例えば、『東海道四谷怪談』が上演された文政年間、大南北は実際には70歳を越えているはず、など)に中途半端な感が残る。
しかし、この小説版はそのあたりの浮ついた部分を、完全に地べたに引き摺り下ろそうとしているように見えて、ある意味、好感だった。
「文化文政」と時代設定をぼかしている映画版(舞台版の戯曲は読んだことがないので、ひょっとしたらそっちには詳細が設定されているのかも知れないが)に対し、この作品は一連の事件を文政12年3月15日〜3月21日(1829年4月18日〜4月24日)に起きた出来事だと確定させ、クライマックスを佐久間火事で収束させている。
当時の時代背景(松平定信がもう長くないことなどにも触れられていたりする)などから、鬼御門の成り立ちなどもわかって興味深く読むことができた。
全ての流れや設定が映画版と同じ、というわけではなかったが、映画で端折られた部分を説明してくれているので、映画を観て釈然としなかった人がディテールを深めるためには良い小説かもしれない。
前述したとおり、たしかにこの作品は原作とは全く違う作品で、いろんな意味でややこしいかもしれない。
しかし、もともとの原作『阿修羅城の瞳 BLOOD GETS IN YOUR EYES』は舞台作品で、初演(1987)、再演(2000)、再々演(2003)と公演のたびに内容を変えて上演されてきたものである。
さらに厳密に言うならライヴである演劇は、そのステージ毎に違う内容だともいえる。
そんなうつろいゆく物語の中に、映画版や映画のノベライズという新たなバリエーションが増えたところで、今更どうということはないのではないか?
原作者である中島かずきが、舞台版をベースに小説化したなら、また新しい話になるだろう。
新たな話が加わるたび、新たな語り部が現れるたびに、出門とつばきは生まれ変わり、そして逆しまの城にて逢瀬を繰り返す。
『阿修羅城の瞳』とはそんな転生しつづける二人の話なのだ、と解釈するなら、それはそれで艶っぽいじゃないか。
小学館文庫『A SHU RA ストーリー・オブ・ザ・ムービー 阿修羅城の瞳』(小学館)
出水秋成
ISBN4-09-408040-6
追記:それと、鬼御門の隊士・伊藤喜四郎は古川喜四郎に、奥田庄兵衛は大多和庄兵衛という名に変えられていた。 阿餓羅・吽餓羅の阿餓羅のみ阿我羅という表記改められていた(吽餓羅は吽餓羅のまま)。 どういうこだわりなのかはわからないが、ここに記しておく。
追記:それと、鬼御門の隊士・伊藤喜四郎は古川喜四郎に、奥田庄兵衛は大多和庄兵衛という名に変えられていた。 阿餓羅・吽餓羅の阿餓羅のみ阿我羅という表記改められていた(吽餓羅は吽餓羅のまま)。 どういうこだわりなのかはわからないが、ここに記しておく。