機動戦士Ζガンダム A New Translation 星を継ぐ者
ついにというか、ようやくというか、待望のというか、ともかくそういう出だしで入らないことには始まらないΖガンダムの「再演」。
その登場を信じ、待ちに待った、という言葉では足りないほど待った作品といってもいいだろう。
あ、いや製作発表があってから、という意味ではなく、放映終了後約20年待った、ということで。
この映画を簡単に説明するなら、1985年から1986年に放映されたTVシリーズ『機動戦士Ζガンダム』を新作カットを交えて再編集し、三部作として構成したもの、といえる。
『星を継ぐ者』は、その第一部である。
あらゆるところで言われている、あるいは実際に目にすれば誰もが感じるであろう旧来の絵と新作カットとのギャップは、別にここでは言及しない。
むしろ導入部こそ導入であるがゆえに新作カットを入れて欲しかったな、というのはあるけどね。
また、声優が一部、オリジナルのTVシリーズと違うというところも特にここでは言及しない。
さてさて、肝心のダイジェストだが、これは正直疑問だった。
ストーリィはなんとなく繋がって、なんとなく話が進んでいるような気がしないでもないが、段取り的にエピソードが繋がっていくだけに近い。
何が起きてるのかはわからない(知っているけど)まま、いつの間にかアーガマにいて、いつの間にか地球に降りてる、そんな印象だった。
登場人物がどんな連中なのかも、どんなキャラクタなのかもよくわからない(知ってるけど)。
そのくせ、『機動戦士ガンダム』の登場人物たちの背景とか、その後などの説明には時間を惜しまない。
なんていうか、完全に『ガンダム』の後日談映画になっていた。
カミーユから見たエマ、レコアといった母性を描くよりも、アムロとフラウ、カイとハヤトの関係性を描く方が大事らしい。しょんぼり。
まあそれはそれで『ガンダム』を観ており、『Ζガンダム』をロクに観ていない人へのアプローチにはなるのかもしれないし(そういえば渋谷シネパレスでは客入れのときに、なぜか「翔べ! ガンダム」がかかってたもんなぁ……)、三部作通してみれば、必要なプロセスだったといえるかもしれないので、多くは追求すまい。
一番観ていて微妙だったところは、脚本。
特に新作カットで再構成された部分の脚本が、思い切り上滑りしていて吃驚した。
台詞言ってるだけ、みたいな……。
特にヒルダの死後、落ち込むカミーユをなぐさめるレコアたちのシーンから、部屋を出て行くまでの一連の新作シーンは、ちょっと焦った。
全員うわの空で話しているかのような感じ、といえばわかりやすいだろうか?
まあ、このシーン自体もシャアの過去を話すためだけのシーンなんだけどね……。
話題を変えるか。
さすがに新作カットではモビルスーツがよく動く。ぐりんぐりん動く。
特にマラサイはかなりかっこよく動いていたように思う。別に「マラサイ好き」でも何でもないのにドキドキしてしまった……。
マラサイの勇姿が見たくて映画にいく人は、全国にかなりいる(?)と思うので期待していいんじゃないかな、と言っておこう。
ちなみに次回作のタイトルは、『恋人たち』。
いいタイトルだ。『Ζガンダム』といえばキス。キスといえば『Ζガンダム』と言ってもいいくらいキスシーンが多い作品の真骨頂は、きっと第二部で示されるはず。
というわけで、第二部を楽しむために第一部を見ておく、というのが冴えたやり方かと……。
『機動戦士Ζガンダム A New Translation 星を継ぐ者』(2005)
原作・脚本・絵コンテ:富野由悠季
プロデューサ:松村圭一(サンライズ)/久保聡(バンダイビジュアル)
音楽:三枝成彰
テーマ曲:Gackt
出演:池田秀一/飛田展男/古谷徹/鈴置洋孝/古川登志夫/鵜飼るみ子/井上和彦/岡本麻弥/檜山修之/郷里大輔/キートン山田/島田敏/沢木郁也/高島雅羅/小杉十郎太/勝生真沙子/浪川大輔/新井里美/戸谷公次/浅野まゆみ/浅川悠/中村秀利/石井康嗣/拡森信吾/塩谷浩三/大川透/柴本浩行/望月健一/松本大/今村直樹/沢村真希/柳井久代/小松由佳/宇垣秀成/田中一成/藤原勝也/三川二三/岡本寛志
総監督:富野由悠季
⇒機動戦士Ζガンダム A New Translation 公式サイト
《参照》
地続きの週末(みそだれ日記)
星を継ぐ者(塒のこっちがわ)