始まりの君へ

結局のところ、冷静になろうとつとめ、いろんなところの意見を拝見し、自分なりのスタンスを再確認し、意見をまとめたところで、

「僕(私)の観たかったものはこんなものじゃない」

という内側から湧き出てくる感情論の方が強いし、まっとうで健康的である──なんてことを再確認しちゃうあたり、まったくもって健康的でないというか、何というか。

そしてその内側から出てくるどんな理屈よりも強い欲求は、

「そんなの知るか」

という言葉に無残に切り裂かれる。

その言葉に返す言葉は一切ない。無残にも。

「そりゃそうだ」

で返すしかない。

たとい、どんなに同じ想いを持つ人が潜在的なものも含めて多数だったとしても、その意見に賛同しない人間が少数であったとしても、現状がこうである以上、実数に関係なく、感情論でわめいている方がマイノリティとなる。自動的に。

そうすると、どんなに取り繕っていても、内側から吹き出る炎がより激しく燃えてしまう。

沈静化しようという動きは絶えず各々の発信者の内部にあるものの、外部からのそれは結局、「ふいご」のような役目しか持たない。

イムリミットもある。

わかっているのは、もう二度と彼の背を追うことができない、ということくらいだ。

いったい、どこに連れて行かれてしまうのだろう?