世界は繋がって……

割と毎週……というか毎日、楽しみにしている朝の連続テレビ小説ゲゲゲの女房』ですが、今週の放送で『ゲゲゲの鬼太郎』第一期放映開始より一気に四年ほどの時間が流れ、水木しげるを起用した雑誌編集長の豊川悟さん(眞島秀和)が少年ランドを離れることになりました。

SNSの方にもちょっこし書いたのですが、この豊川さん、少年マガジンの編集長だった内田勝さんという方がモデルになっています。

現実の内田勝さんは、少年マガジン編集部を離れた後、他の編集部を歴任し、それから約20年後に講談社を退社します。

で、1994年に徳間書店から創刊した「月刊マンガボーイズ」という少年まんが誌の編集長となりました。このマンガボーイズ、一年ほどで休刊してしまうのですが、僕にとっては思い出深い雑誌のひとつであります。

当時、学生だった僕は、とあるまんが原作者の方の事務所で働かせてもらっていました。

編集のアシスタントや事務所の雑用、雑誌の読者コーナのライティングなどをしながら、時折、まんがの原作を書かせてもらい、脚本の勉強みたいなことをさせてもらってたわけです。主にその原作者さんが抱えるタイトルの外伝とか読み切り作品とかね、そういう作品の字コンテを書かせてもらっていたのですが、当時の経験は、現在でもいろいろ役に立っていると思います(平身低頭)。

そんな中、『パチパチサーガ』というパチンコとロールプレイングゲームのコラボのような企画がありまして、それのコミック版のひとつを件のマンガボーイズで連載することになり、僕が脚本を担当させてもらえることになったんです。

作画は、少女まんがやFFVIのイラストなどで活躍されていた矢野りん子さん。僕も初めての連載で嬉しかったように覚えております。

しかし、その連載が始まってわずか3号でマンガボーイズは休刊となってしまいます。作品も当然ながらそこで打ち切り。とても残念でした。

当時は、マンガボーイズに限らずコミック鉄人とか少年王とか、多くの雑誌が出てきては消えていきましたね。

同時期に僕も滞在していた事務所をやめ、その事務所から独立した方の作ったゲーム開発会社に移籍することになるのですが、それはまた別の話(その後、作品は6話までのシナリオを書き起こさせてもらい、単行本も発売されたので、興味のある方は、是非、探してみてください)。

まあ、そんなわけで僕自身は編集長の内田勝さん(2008年に73歳でお亡くなりになっているようです)という方にお会いしたことはなかったのですが、『ゲゲゲの女房』を観ながら、あのアツい豊川さんが将来、マンガボーイズを作るのか……なんか、世界っていうのはどっかで繋がってるんだなぁ……などと感慨深い想いになったりする。そんな昨今です。

追伸

そんなことを考えていたら、今朝の『ゲゲゲの女房』で俳優やってる知人がしげぇさんを下着泥棒と間違える警官役で出演してました。

やっぱ、世界はどっかで繋がってますね……w