不安の中で
マスコミは被害の悲惨さを伝えるばかりだし、報道の基本姿勢が批判と追及なので、テレビを見ると滅入ってくるが、被災者の人たちには頑張って欲しい。
とりあえず、僕の周囲の人の無事は確認できた。
義妹の実家が会津若松で、そこと連絡がなかなか取れなかったようだが、無事だった模様。
東北に呼応するように同時に中越でも地震が起きたため、父の地元の妙高高原に住む親戚たちが気になったが、そちらも大丈夫だということだ。
どのくらいの人が覚えてるかは知らないが、2009年8月、静岡沖でM6.5の地震があった。
M9.0の世界規模の地震のあとで、M6.5という数字を見ると小さく見える気がしてくるが、先日のクライストチャーチの地震だってM6.3程度だ。
ともあれ、一昨年の夏、静岡沖の地震があった。
震度は御前崎などで6弱を記録。
東京でも震度4と、比較的大きな地震だった。
とうぜん、僕の地元である清水も揺れ、両親らが被災した。
ちょうどその頃、東京の友人が富士山に昇りに行っていたり、台風の近付くさなかだったりしたため、いろいろと心配な一日だったのを記憶している。
一番ショックだったのは、後に「この地震は将来想定される東海沖地震とは関係ない」と発表されたことだった。
「実はあれが東海沖地震だったんだよ。思ってたほどじゃなかったね」って言いたかったのに……、世の中、そんなに甘くないと思い知らされた。
静岡に生まれ育った人は幼少のころから、やがてくるであろう東海沖地震の恐怖を刷り込まれて成長する。
小学校では、防災頭巾になる座布団を必ず購入させられたし、家具の固定などの震災対策は全国でも一位なのだそうだ。
そのおかげか、当の地震は震度の割には被害も多くなかったので、あまり話題になることなく、世間からはあっという間に忘れられた。
……ともかく、静岡にいても東海沖地震、関東に出てもやがて来る第二の関東大震災、あるいはそれらの地震に誘発された富士山の噴火などの犠牲に自分がなるシミュレーションは、子供の頃からいつもしていて、ある種のトラウマになっている。
今でも、自分は将来的に病気や事故ではなく、自然災害で死ぬんじゃないかって思ってる節があるのは、あの静岡県のゆがんだ教育のせいじゃないかって、ホント、マジで思う。
その教育がプラスなのか、マイナスなのかは今でもわからない。地震の時に、他の地方出身の人間より関東や東海出身の人間の方が落ち着いて行動しているらしい、と分析されることはあるけど──
でも、実際に大きな災害に見舞われたのは16年前の阪神であり、今回の東北であった。
複雑な気分だ。
そして、だからといって、自分たちへの将来的な災厄がキャンセルされたわけじゃない。
不安は消えないのだ。
阪神の時もそうだったが、意外と自分にできることは少ない。
殆どの人が、今してあげられることの大部分をしてしまったことだろう。そして、近い将来、完遂してしまうだろう。
にもかかわらず、絶えず被災地の様子が報道されるので、普通の生活を送ろうとするベクトルと、それに対する罪悪感のせめぎあいになっている。
だから、何かしようとして、でも何もできずにストレスをため込んでいる人も多いように思う。
本当は、こう言う時こそ普通に生活して、いろんな産業にお金を落とさないと地元産業がヤバくなるのはわかってるんだけど、なかなか感情がそれを許さなかったり。
周囲の知人で、まだ身内に連絡がついていない人も多い。
あれだけの災害だ。最悪の事態を常に皆、想定している。
でも、根拠のない楽観的なことを言う役にしかなってあげられない。もどかしい。
今回の被害は見えてない部分をも予想するにかなり甚大のはずだ。
復旧にはかなりの時間を費やすことだろう。政局とか政策とか、そんなこと言ってる場合じゃない。
何しろこれだけの災害は世界的にもそうそうないレベルなのだ。
2008年のリーマンショックの波が2年経って昨年、うちの業界にもガッツリ押し寄せ、収入的にも生活的にも先の見えない不安が押し寄せ、常におびえていたりしたのだが、ここから先が、さらに見えなくなった気がする。
同様の人も多いだろう。
こういう有事の際は娯楽産業は、まっさきに不謹慎なもの、として切られがちだからだ。
でも、生き残った被災者のなかにも、僕らの作るゲームを楽しみにしてくれてる人がいるかも知れない。
西に住んでて被災しなかった人、あるいは関東などの被害の少なかった人にだって娯楽は必要だ。日々の報道にストレスをため込んでる人は相当多いだろう。
僕らの作ってるものは客を選ぶ。
マーケットはそんなに大きくない。
でも、いろんな分野の娯楽産業の人たちが頑張ってる。
どうか、不謹慎と言わずに見守ってやって欲しい。
必要とされる分野なのだから。
そして僕らも不安なのだから。
今日も今日とて、不安と戦い続ける。
それは皆、一緒なのだけれど。
折しも今日はホワイトデー。
近くの人にお菓子をあげるくらいの心の余裕は欲しい。
どうか不謹慎だなんて言わないで。
手から和菓子を出してあげることは、できないけれど。