ロールプレイング
などと言っている間に地元静岡も震度6強の地震が起きてしまった。
静岡と聞いて飛びあがってしまったが、うちの家族に被害はなかった模様。
とりあえず、東京もまだまだ揺れているものの、今のところ16日に千葉沖で起きた地震以降、最大震度5以上の地震がないので比較的平穏な日々が続いている。
とはいうものの、近所の信用金庫の外壁のタイルは落ちているし、目黒不動尊の石段や石垣など、あちこちが崩れてしまっていて、当日の爪あとは残っている。
東京も震度5強の被災地だったってことを、つい忘れてしまうのは仕方ないことなのかもしれない。
日々の東京電力や自衛隊、消防などの頑張りを観てると勇気づけられる。
現政権は、自分らの最大のパフォーマンスであった事業仕分けで、災害対策や原発に対するいろんな予算を削ってしまった直後の大災害なので、肝を冷やしているかも知れないけど、政権1年生だろうと政権は政権。正直、頑張るほかないので、頑張って欲しいとしか言えない。
被害の大きかった現場は今も大変な状況だ。
しかし、おそらく一ヶ月後、いや一年後も大変な状況なのは変わらないと思う。
今、よく聞こえてくるのが「こんな時に」って言葉。
疑問に思ってしまうのだが、「こんな時」っていうのはいつまでなんだろう……?
知人のツイートやmixiボイスなどを見ても、繁華街に人が少ないのがわかる。
外食産業がヤバいって話も聞く。
こんな時にショッピングなんて不謹慎だ。
こんな時によくパチンコなんてやってられるな。
そんな金あったら寄付しろ、だとか 節電しろだとか。
ちょっと、そういう言説を聞いていると不安になってくる。
そういうのは善意だからこそ素晴らしいことだし、「粋」なのだ。
強制になった途端、それらは色あせる。やらない人を責めた途端、ギスギスする。
皆がいつも使うお金の中から出すわずかな金額がたくさん集まって莫大な金額になる。
皆がいつも使う電力を、少しずつ節約するから大きな電力が節約される。
そういうものだと思うしかないのだと思う。
どうやら非難の的になっているらしいパチンコ屋を例に挙げてみる。
僕はパチンコをやらない。
正直、好きじゃない。
延々と座り続けるのは好きじゃないし、パチンコ系のデバッグの仕事をしたことがないわけじゃないからプログラムされた確率だけのデモを延々と見せ続けられることに至福を感じない。苦痛だ。
煙いのも嫌いだ。
パチプロの知り合いもいて、凄いと思ったりもする一方、借金抱えてるクセにパチンコで十ウン万円すった後輩もいて、バカなんじゃないかと思ったこともあった。
僕と同様、あまり良いイメージを持ってない人は多いだろう。
そのパチンコ屋が電力を使いまくってたら、こんな時に、と思うのも致し方ないのかもしれない(実際、電力は抑えるべきだけど)。
だが、パチンコ屋は、今やコンテンツ産業の重要な収入源になっている。
パチンコの台を売る系の会社に勤めている友人もいる。
いや、それだけじゃない。
アルバイトの店員もだ。
ただでさえ、収入が少なくて生活が逼迫している舞台系の俳優たちの中には、時間に融通がきき、時給もそれなりに支払ってくれるパチンコ店でアルバイトをしている者も少なくない。
「パチ屋のバイト」をしている、あるいはしたことのある知り合いの役者の顔をあげたらキリがない。
彼らはそういうところでお金を貯め、次の公演にそなえて稽古に精を出している。
彼らの生活はどうなる?
彼らは時給だ。働いた分しか収入にならない。
貯蓄もほぼないと断言してしまっていいだろう。
想像してみて欲しい。
皆が遊びだと思っている場所を。
そこに働いている人はいなかったか?
レジャースペースでお客が安心して遊べるのは、そこに職員がいるからだ。
不謹慎、不謹慎言ってると、その人たちの仕事がなくなる。
ただでさえ不景気だ。
だいたい不景気の原因が起こると市場に大きな影響が出てくるのは二年後だそうだ。
たしかにバブル経済がはじけたのは1990年だったが、1992年くらいまでは景気が良かった気がする。
2008年の例のアレのせいで、2010年あたりからいろんなものの売り上げが悪くなった。
ゲーム業界の売り上げも七割程度になってしまった。
確定申告をして再認識したが、僕の収入だって、2009年と比べてかなり落ちている。
皆の財布の紐が硬い、そんなさなかの地震だ。
相方がスタッフとして働いている女性向けの服屋さんは東北に多くの支店を持っていて、今、そこが全然機能していない(連絡のつかなかった宮古店のスタッフは連絡がつき無事が確認されたそうだ) 。
にもかかわらず、繁華街の自由が丘店などには 全然人が入ってないそうだ。
このままでは会社がつぶれてしまう可能性も、結構高いんじゃないかと思っている。
こんな時におしゃれしたくないかも知れないが、そんなことを言っているとお気に入りのお店がなくなってしまう可能性は常につきまとう。
不安も多いだろう。
でも、多分、経済を動かさないと、明日、食べるものがなくなるのは僕たちだ。
こんなことしてる場合か、と憤る前に想像力を働かせてみて欲しい。
確かに今、無力感を感じてる人は多い。
義援金を送金した人は多いだろう。しかし、おそらく我々が10万人集まっても、著名人の大きな義援金には敵わない。
献血も、いまは十分な量があるらしい。血液にだって鮮度ってものがあるから、今、これ以上献血するよりは、時間が経ってからした方がいいらしいと聞く。
ボランティアも物資も、受け入れ態勢がなければ意味がない。邪魔になることも多いだろう。
正直、無力だ。
しかし、無力であるってことを受け入れるのも大事なプロセスだ。
今の不安を晴らしたいから、何かをしたいって衝動が湧き上がってくるってことも認めなきゃいけない。
できることは少ない。でも、明日の産業を救うことはできる。
意識的に普段の生活をしてみるのも大事なことだと思う。
言ってみれば、これは一種のロールプレイングだ。
普段の自分を演じるっていう、重要な配役。
台詞はアドリブ、場当たりもシュートもゲネプロもないぶっつけ本番だ。
ぶっちゃけ、精神的にしんどいかもしれないけど。
頑張ろう……。