episode 3「ラプラスの亡霊」
『機動戦士ガンダムUC episode3「ラプラスの亡霊」』を観て感じたことを書き留めておこうと思いつつ、あれよあれよと時間が経ってしまった。
早くしないとepisode4「重力の井戸の底で」が始まってしまうので、大急ぎで書いてみた次第だ。
アニメ版『機動戦士ガンダムUC』はオリジナルビデオのシリーズだが、「ユニコーンの日」、「赤い彗星」ともにTOHOシネマズ六本木ヒルズで上映を観させてもらった。
久々に劇場で観るガンダム作品に胸を躍らせた僕は、もちろん「ラプラスの亡霊」も同劇場で鑑賞する予定だった。
忘れもしない3月11日、後輩や相方と観に行く約束をしていたのだ。
しかし、前日夜から相方の具合が悪くなってしまったため、11日は後輩との約束をキャンセルし、午前中のうちに相方を病院で診てもらい、家で寝かしつけたところで、あの震災が発生したのだ。
六本木で震災に遭っていたら、帰宅難民になっていたことだろう。家の資料本棚も崩れていただろうし、帰宅難民になってしまった相方の務める服屋のスタッフの娘たちを泊めてあげることもできなかったに違いない。
結局、余震が続いていたこともあり、その後も上映期間中に映画館に行くことができず、「ラプラスの亡霊」は未見のままだった。
秋に「重力の井戸の底で」が公開されると聞き、慌てて知人からブルーレイを借りて鑑賞した次第だ。
その際、一緒に借りた『模型戦士ガンプラビルダーズ』に関しては以前のエントリィで述べさせてもらった。
『ガンダムUC』は、宇宙世紀のガンダムを観続けて育ってきた世代のために「計算された」作品だと思う。
『逆襲のシャア』の直後の時代とモビルスーツ、初代を彷彿させる場面や台詞、SEEDも含めた過去作品とあえてかぶせたシチュエーションなどなど。あざといほどに「欲しいもの」が散りばめられているからだ。
位置づけ的には『逆襲のシャア』の後日談的な時代設定ではあるが、その中でも、ネェル・アーガマだったり、クイン・マンサを思わせるクシャトリヤのデザインだったり、行方不明だったミネバ・ザビの行方だったりと『機動戦士ガンダムΖΖ』なしでは語れない要素がそこかしこに散りばめられている、ということが個人的には物凄く嬉しかったりする。
中でも無視できないのが、そのクシャトリヤのパイロット、マリーダ・クルスの存在だ。
今回の「ラプラスの亡霊」では、そのマリーダの生い立ちについて語られる。
彼女を示すコードネーム「プルトゥエルブ」。その言葉に、僕の魂は引っ張られる。
ガンダム好きを自称する人の中には、『機動戦士ガンダムΖΖ』を認めないと言っている人は少なくない。
序盤の明るいノリのイメージが当時のその人のガンダム感と合わなかったのだろう。しかし、ガンダムが何でもありになってしまった現在では、もはやそれもどうでもいい話だ。
何を隠そう僕にとっては、『ΖΖ』こそが「ガンダム」だった。
'71年の末に生まれた僕にとって、『機動戦士ガンダム』は正直、難しすぎる作品だったのだろうと思う。当時の記憶はあまりないが、『無敵鋼人ダイターン3』は好きでマッハアタッカーの玩具がお気に入りだった。
ガンダムの後番組である『無敵ロボトライダーG7』から『最強ロボダイオージャ』、『戦闘ロボザブングル』に至る流れは熱中して観てた記憶があるし、ガンダムの後に放映していた『バトルフィーバーJ』にもかなり熱中していたので、いかにガンダムが当時7歳の僕の心に響いてなかったかが容易に想像できる。
後追いでストーリィを知り、ガンプラやガン消しといったものにもある程度熱中したものの、『機動戦士Ζガンダム』が始まった'85年になると、僕はすでに中2で、心のどこかで「いまさらガンダムかよ」と思っていた節もあったし、なにより運動部が忙しくて土曜日の17時半に家にいることはまず無かった。
状況が変わるのは翌'86年、中3になってからだ。
何故か『ΖΖ』の序盤は春休みで観ていた回もあって、笑える内容に好意的な印象を持っていた。それに加えて、中3の途中で部活動を引退したことや、『超新星フラッシュマン』にハマってしまったこともあって『機動戦士ガンダムΖΖ』は毎週欠かさず観る番組となった。
時折出てくる旧式のモビルスーツも好きだったが、一番心惹かれたのは、何故か大気圏突入の時のジュドー・アーシタとエルピー・プルのやりとり(遠藤脚本)だった。
以来、プルがお気に入りのキャラとなり、視聴意欲をけん引していった。
実際、当時のアニメ誌などでのエルピー・プル人気はすさまじかった記憶があるが、そのプルは、36話「重力下のプルツー」において、自身の分身たるプルツーと交戦し、壮絶な最期を遂げてしまう。
つまりプルというキャラクタは、ララァやフォウのようなポジションだったというわけだが、予想しなかった少女の死は、ジュドーと同年代の14歳の僕にとってはかなり衝撃だったはずだ。
そんな、すっかり忘れていた青春以前の思春期の感情の残滓が、マリーダ・クルスの過去とともに、一気に噴出してきた。
自分自身の亡霊と対峙する、というのも妙な話だが、マリーダの物語の結末を見届ける、というのは、当時の自分に対する一種の供養のようなものかも知れない。そんな風に思った次第だ。
極めて個人的な内面で起こった現象だが、『海賊戦隊ゴーカイジャー』も含め、過去の自分と向き合わせてくれる作品が最近、どうにも多いので、心の流れに身をゆだねてみるのも、悪くないのかもしれない。
それ以外にも、カーディアスとの死別をしたバナージがダグザに見出した父性、リディとバナージとの「男」としての約束など、「ラプラスの亡霊」には見所が多い。
そして何よりエンディング。物悲しいCHEMISTRYの「Merry-go-round」をバックに墜ちていくバナージ。ああ、どうしてガンダムの大気圏突入はこんなにも切ないのだろう……。
次回、物語は地球へと移行する。当分、『機動戦士ガンダムUC』から目が離せそうにない。
≪追伸≫
先日観た『模型戦士ガンプラビルダーズ』の影響でHG「フォーエバーガンダム」を完成させたばかりだが、エコーズの活躍が非常に素晴らしかったので、余裕があればHGUCの「ロト」も作ってみたい。