あれから一年……

3月11日──

あれから一年の日々が過ぎ去っただなんて、なんだか実感がありません。

Twitterなどに細かなログが残っているっていうのもあるのでしょうが、当日の記憶が鮮明で。

思えば2011年は瞬く間に過ぎてしまいました。

あの日、相方が体調を崩したおかげで、四方田君と行く予定だった映画(『機動戦士ガンダムUC』ep3「ラプラスの亡霊」)の約束をキャンセルし、午前中に相方を病院に連れて行き、午後は彼女を寝かしつけて自室で仕事をしていたところで、本震が起きたのでした。

その後、相方が働いている近所の服屋さんのスタッフの女の子たちが帰宅難民になってしまったので、うちで保護し、余震におののきながらもテレビから来る情報に戦慄していたのを覚えています。

もし映画に行っていたら帰宅難民になっていたでしょうし、僕たちが帰宅できなければショップの娘たちも行く場所がなかったでしょう。

僕の仕事部屋にある大きな本棚もどうなっていたことか……。

もし相方が体調不良じゃなかったら大変なことになっていたでしょう。

あるいは、その日、埼玉に仕事に行くなどしていて相方と別行動していたら、とか、あるいは一週間前に湯西川温泉に行っていた時に地震が起きていたら……など、歴史にifはないのはわかっているのですが、背筋に寒いものが走ります。

いろいろなタイミングで幸運に助けられたと思わざるを得ません。

東京は本震で震度5弱

一般に「被災地」とよばれる東北地方とか比べられないほど被害は小さく、比べてはいけないものではありますが、都内も人が集まる都会であるが故のインフラに対する防御の甘さが露呈しました。

今も皆、問題から目を背けてだましだまし生きていますが、同規模の災害が起こった際、同じような問題が出るのは自明の理でしょう。いや、もっとひどいことが起こる可能性も大きいです。

静岡に生まれ育ったからか、常に自分たちは砂上の楼閣に生きているという感覚は幸か不幸か持ち合わせていたのですが、それでも危機感は日々、風化してしまっていくことでしょう。

今日、商店街を歩いていたら義援金のためのもちつき大会をやっていました。

心ばかりの募金をして、つきたてのきな粉餅を美味しくいただきました。

僕にできることは募金などを除けば、選挙に票を投じることと、娯楽作品を世の中に提供していくことくらいしかなく、自分にできることを日々するのみです。

まずは僕たちの作る作品を楽しみにしている人たちのために、頑張ります。

四月には子供も生まれます。

震災を知らない子供たちが、快適に住める世の中をつくるにはどうすればいいのか。

それを心の隅にとどめながら、できることをやっていこうと思います。