矢野りん子さん……

先日、Twitter経由で、旧い知人である漫画家の矢野りん子さんの訃報を知った。

昨年の2月25日に亡くなったのだそうだ。

2004年に乳がんの宣告を受け、闘病中だということはご本人のサイトを見て知っていた。2006年以降、サイトの更新もなかったので、気になっていた。

90年代の中盤〜後半に携帯電話やインターネットが爆発的に普及し、i-modeの登場によってそれまでのショートメールサービスからEメールにシフトすることによって、人のつながりは微妙に変わった。

2004年あたりからはSNSも普及して、そんなに意識しなくても、人とのゆるやかなつながりが維持されるようになった。

そうなってくると、90年代中盤までに知り合って別れた、大学時代の友人や、その当時の仕事関係の知人との関係が希薄なままだということが違和感で、その違和感が拭いきれないまま、現在まで来てしまっている。

矢野さんは、マーガレットなどで活躍していた少女漫画家&イラストレータさんで、94年か5年頃、僕がまだとある漫画原作者さんの下で修業させてもらっていた頃に知り合った方だ。VジャンプFFVIの可愛いイラストを描いていたりもしたので、そちらでご存知と言う方も多いかもしれない。

編集のアシスタントや雑用をしながら、時折、漫画の原作脚本(字コンテ)を書かせてもらっていた僕が、ようやく連載をもらったメディアミックス作品『パチパチサーガ』の作画を担当してくれたのが、矢野りん子さんだった(その辺りの顛末は過去の記事も参照してください)。

連載開始わずか数ヶ月で掲載誌が休刊してしまった関係で、単行本加筆用の数話分の脚本を書き下ろし、僕と『パチパチサーガ』の関係は終わった。

連載中には矢野さんや編集さんと飲んだりもしたが、その頃には僕も漫画原作者さんの事務所を辞めて、そこから独立した人の作ったゲーム開発会社で働いていたので、以後、矢野さんに会うことはなかったように思う。

そこから先は、ただただ忙しく怒涛のような毎日が押し寄せ、その頃の知り合いたちにほとんど連絡する術がないまま、一気に時が過ぎてしまった。

2001年からフリーで活動を始め、D.C.IIの開発に関わり始めた2005年からは、さらに怒涛のように時が過ぎ、気付けば新しい環境で、新しい仲間に囲まれ、新しい作品を作らせてもらっている。

そんな中でも彼女がどうしているのか、気になっていた。

ある日、サイトでがんのことを知り、以後の更新がないこともあって、ずっと喉に小骨がつかえたままのような状態だった。

ふと気になって、そう去年だ、サイトに掲載されているinfoseek.jpのメールアドレスにメールを送ってみた。しかし、メールアドレスは使われておらず、メールは届かなかった……。

送ったメールのタイムスタンプを確認したら、2012年1月24日23時55分だった。

もうすぐ彼女の一周忌。

結婚して引っ越した今も、僕の仕事部屋の本棚には、『私のた・わ・し』、『Cherry Pink』、『地下道のPON』がある。

できれば生きているうちに、もう一度、お会いしたかった。

……でも、今のこんな世の中で、訃報を知ることができただけでも良かったのかもしれない。

彼女と作品をひとつ、世に残せただけでも幸せでした。

どうか、彼女の魂が安らかでありますように。

追伸

僕の中で、ニッキとアックス、そしてチャンプーの冒険は、まだまだ続いています。

いつか彼らがスタンプを集めきったら、それを天国まで届けに行かせますね。