スーパーヒーロー大戦GP 仮面ライダー3号

3月下旬から4月上旬にかけて、ちょうど、相方が子供らを連れて帰省していたので、先日、久々に一人で特撮映画を鑑賞しました。

子供らの帰還を待っても良かったんだけど、入場特典として配布されるDVDには限りがあるようでしたし、既に前売りは買ってあったので、初日に行ってきたわけです。

『スーパーヒーロー大戦GP 仮面ライダー3号』は、結論から言えば、今までの春映画がそうであるように、あまりオススメできる映画ではなかったんですよね。

ん〜、細かい感想を述べる前に、春映画というのはどういうものなのかを、一応、整理しておきたいと思います。

春の大戦映画は、元を辿れば、電王のクライマックス刑事や超・電王シリーズの枠に遡るわけですが、その直接のご先祖さまは2011年4月に公開された『オーズ・電王・オールライダー レッツゴー仮面ライダー』になります(それまで共演不可能だった平成仮面ライダーを共演可能にした上に昭和ライダーまで引きずり込んだことで興収19億を叩き出した2009年8月の劇場版『仮面ライダーディケイド オールライダー対大ショッカー』と同年12月の『仮面ライダー×仮面ライダーW&ディケイド MOVIE大戦2010』が大元といえば大元ですが)。これに加えて、同年6月には『ゴーカイジャーゴセイジャースーパー戦隊 199ヒーロー大決戦』が公開され、ライダー大集合、戦隊大集合というカードが揃ったところで下地ができ、翌年からの春の大戦映画へと繋がるわけです(さらに『199ヒーロー大決戦』で大葉健二氏の出演が叶ったことが、後の『海賊戦隊ゴーカイジャーVS宇宙刑事ギャバンTHE MOVIE』に繋がり、二代目宇宙刑事シリーズの基礎となるわけですが、ここでは割愛)。

『199ヒーロー大決戦』は戦隊側の製作ですが、以降のスーパーヒーロー大戦系の映画は、『レッツゴー仮面ライダー』と同じライダー側の作品だということも付記しておきます。

2012年4月の仮面ライダースーパー戦隊が共演する『仮面ライダー×スーパー戦隊 スーパーヒーロー大戦』、それに二代目ギャバンたちが加わった2013年4月の『仮面ライダー×スーパー戦隊×宇宙刑事 スーパーヒーロー大戦Z』、昭和ライダー15人と平成ライダー15人が争う2014年3月の『昭和ライダーVS平成ライダー 仮面ライダー大戦feat.スーパー戦隊』、そして歴史が書き換わったことで新たなライダーが登場する今回の『仮面ライダー3号』と続いていきます。

これらの作品は、毎回毎回、違った題材を主軸にストーリィを展開していますが、基本的なフォーマットは実は結構共通していたりします(要素によっては『レッツゴー仮面ライダー』から同じものもあります)。

・現役のライダーから物語が始まる

・現役の戦隊が登場する

・中盤は先輩ライダーや先輩戦隊のメンバーなどが引っ張る

・現役ライダーが現役戦隊のロボに乗り込み、一緒に戦う

・現役のライダーと現役の戦隊でラストシーン

すべての作品がこのパターンにすべて当てはまるわけではないですが、ひとつずつ検証していきましょう。

・現役のライダーから物語が始まる

基本ですね。テレビシリーズを見ているお子様がメインターゲットなので、重要な要素です。スタッフロールの並び順を見る限り、主役とされているのは現役ライダーではないことが多いのですが、導入は現役作品の主人公から。『スーパーヒーロー大戦』では、フォーゼから始めようとするあまり、『MOVIE大戦MEGAMAX』の導入とかぶってしまいました。

そういえば、『レッツゴー仮面ライダー』でも導入はオーズからでしたね。

・現役の戦隊が登場する

これも重要です。そうすることで、1クール以上こなしてきた現役のライダー組と、番組が始まったばかりの現役の戦隊組とのコラボが生まれるわけです。

とは言っても、ライダーメインの『仮面ライダー大戦』では、「feat.スーパー戦隊」と銘打つものの戦隊はほぼゲスト止まり。今年の『仮面ライダー3号』では、「スーパーヒーロー大戦」の名が復活しましたが、それでもやはり、戦隊はゲスト扱いでした。

現役のライダーと戦隊のコラボは、最近はTVシリーズの方で映画のプレストーリィとして発表される『春休み合体スペシャル』の方に比重がうつってきたようです。

・中盤は先輩ライダーや先輩戦隊のメンバーなどが引っ張る

話の入口は現役ライダーにしておきながら、中盤はほとんど出てきません。何しろ、本編の撮影が忙しいですから。春映画を撮る時期は、同時進行的に三本の台本(ドライブの時は四本という噂)を抱えているそうです。

なので、現役ライダーは何らかの理由で一時、物語の陣頭から外れます(『スーパーヒーロー大戦』の時は、「フォーゼとゴーバスターズが、ディケイドやゴーカイレッドにやられた」という描写を避けているのですが、曖昧にしつつも物語上はフェードアウトしています。現役ヒーローがやられる姿を見せない、という判断でしょうが、余計に話が分かりにくくなってます)。

その間、ゲストヒーローが物語を引っ張ることになります。前年のヒーローやレジェンドヒーローが活躍する場が与えられるわけですね。最近では、現役主演不在の間を、2号ライダーが繋ぐ、というケースも主流になりつつあります。

・現役ライダーが現役戦隊のロボに乗り込み、一緒に戦う

途中、どんなに先輩戦士や2号ライダーが物語を牽引しようと、最終的には彼らを差し置いて、現役ライダーと現役戦隊のコラボになります。ライダーが戦隊ロボに乗り込み、ロボがライダーの意匠を活かした劇場版限定のパワーアップ形態となり、相手を倒します。

ライダーと戦隊ががっつりコラボしていた『スーパーヒーロー大戦』や『スーパーヒーロー大戦Z』はともかく、ライダーメインになってしまった『仮面ライダー大戦』や『仮面ライダー3号』でもその姿勢を崩していないので、唐突感だけが残ってしまった感はありますが。

ただし、『仮面ライダー大戦』では、電王とトッキュウジャーのコラボというノルマをこなさなければいけなかったため、鎧武だけはトッキュウオーに乗ってないんですよね。

・現役のライダーと現役の戦隊でラストシーン

特に初期の『スーパーヒーロー大戦』と『スーパーヒーロー大戦Z』で顕著でしたが、途中、どんなに他の先輩戦士が物語の中心にいようと、最後の最後を持っていくのは現役戦士です。しかも、他の連中は顔出しの俳優なのに、現役戦士だけは変身後の姿なんですけどね。

さすがに、戦隊がゲスト扱いになってしまった『仮面ライダー大戦』以降、そんなことはなくなってしまいましたが、『仮面ライダー3号』のラスト(後述)は別の意味で問題になってしまいましたねw

……と、まあ、並べてみると春の大戦映画には、MOVIE大戦や夏の単独映画とはちょっと違う制約や縛りなどが、ぼんやりと見えてくる気がしますよね。

要約すれば、現役主演ライダーが主役であるかのように物語を始めつつも、各作品ごとの主役や狂言回しは別に立てて、内容をパート分けすることで、複数のエピソードのコラージュで作品を進めつつ、最後は現役主演ライダーで締める。それが現時点での春映画のイメージだと思ってもらって、大きく外してはいないと思います。

スケジュールに対する吶喊感、配役のギリギリ感も含め、引き受けてくれる脚本家は一人しかいない、などという話も、随所のインタビューで散見されます。

実際、大変なのでしょう。

しかし、それを差し引いたとしても、そろそろ春の吶喊大戦映画に何らかのメスを入れなきゃいけないんじゃないか。そう思わざるを得ない映画、それが『仮面ライダー3号』でした。

前置きが一段落したところで、今回の映画『仮面ライダー3号』の話にうつりましょう。

これは『仮面ライダードライブ』の代の春の大戦映画。

ドライブの特徴と言えば、「主演ライダーが警察であること」と「主演ライダーのメインマシンが自動車であること」の二点です(主演以外のライダーであれば、警官ライダーも自動車ライダーもすでにいます)。

昨年、まだ次のライダーがドライブだと発表される前に、来年の春の大戦映画は警察ライダー(および警察ヒーロー)が大集合するものになるといいな、と夢想したこともありました。が、今回、映画の肝として選ばれたのは、「警察」ではなく「車」の方でした(残念……)。

というわけで、サブタイトルに「スーパーヒーロー大戦GP」と冠している通り、この話はクライマックスで、ライダー同士がサーキットでレースをする、という前提で企画されたものです。

ドライブが駆るトライドロンがサーキットを走る、その対抗馬として登場することになったのが、トライサイクロンという車を運転する仮面ライダー3号です。

当初は、別冊たのしい幼稚園誌に掲載された「3ごうライダーたいぶらっくしょうぐんのまき」に着想を得たような告知がなされていましたが、雑誌のインタビューなどによれば、それはプロモーション用の後付けの話で、「もし1号、2号の次に3号がいたら」というインパクトを狙って企画されたものだったようですね。ひょっとしたら、毛利氏が脚本を書いた前年の『仮面ライダー鎧武VS列車戦隊トッキュウジャー 春休み合体スペシャル』でトッキュウ3号がV3に対して突っ込んだ、「3号じゃないんだ……」という発言が、企画者の脳裏にあったのかも知れません。

1972年2月10日が分岐点となり、ショッカー首領を倒した仮面ライダー1号・2号の元に、本来の歴史には存在しなかった仮面ライダー3号が現れ、1号・2号を倒したことで、過去が書き換わり、現代がショッカーの統治する時代となってしまいます。

ここだけ書くと『レッツゴー仮面ライダー』にそっくりですね(あれは歴史の分岐点が1971年11月11日でしたが)。メインの幹部がブラック将軍であるところも同じです。あえて被せているのかも知れませんが、まだ4年しかたってないのに、ちょっと露骨だな、と思いました。

ただ、『レッツゴー仮面ライダー』の歴史改変は『バック・トゥ・ザ・フューチャー パート2』風でしたが、今回の歴史改変は、どっちかといえば『ハウス・オブ・M』風なのかな? 改変後の現代も、前者では荒んだカオスな部分が強調されてましたが、今回は恐怖政治による秩序が強調されているなど、見せ方が違うので、同じネタに着手する意味はあったのかも知れません(それにしても、時期尚早だとは思いましたが)。

歴史改変は過去に遡って別の未来に来た、というよりは、光に包まれて現代が書き換わった、という演出をしているので、改変時に謎のレジェンドシグナルバイクを装着していた霧子だけが元の世界の記憶を有し、他の登場人物は改変後の世界の記憶を持った状態で登場する、というところから始まります。

なので、しばらくは観客の視点は霧子と重なって、新世界の世界観を理解していくわけですが、先程も述べたように作品自体がコラージュで、いろんな登場人物が出てくるシーンのパッチワークみたいなもので進行していくので、内容を理解しづらいのです。

その上、脚本家があまり上手い人ではないので、キャラクタの感情がとぎれとぎれで繋がっているように見えず、謎なのか、ミスリードなのか、登場人物の嘘なのか、単なるミスなのかがよくわからないまま、説得力がなく物語が進んで行ってしまいます。

この展開を持ってくるのはいいけど、ここでどんでん返しをするためには、前のシーンまでにこれをやっておかなきゃいけないだろ、っていうのは、例年のことですが、ないです。平成ライダーを手掛ける脚本家は沢山いますが、春の映画を毎年担当している方は、とりわけセンスのない方だと思ってしまうのは考えすぎでしょうか?

美味しいネタはあるのに、いろいろと勿体ないんです。

今回、萬画版『仮面ライダー』の設定を汲んだような、スキンヘッドで本郷猛の執事としての立花藤兵衛が登場します。それはいいんです。実際、「おおっ!」と思いました。井出らっきょさんも、確かに萬画版の藤兵衛にそっくりです。でも、出てきたと思ったら、次の展開ではもうそれがフェイクだと判明しちゃうんです。前年のZXとバダン総統との化かし合い合戦くらい軽いんですよね。

「ライダータウン」が3号の罠だというなら、もっと早めにライダータウンに到着して、一旦、拠点防衛戦に切り替えてからのどんでん返しをしようよ、とか思っちゃいます。

一事が万事、こんな感じで、シーンの繋がりが意味をなさない。去年の方が、まだ複数の物語の同時進行感が出てましたが、今年はもうパッチワークすぎて酷かったですね。

もちろん良かった点を探せと言うなら、いくらでもあげられます。

何より3号。及川光博氏も(かなり)かっこよかったですし、3号のデザインもかっこいい。ダークヒーロー的な立ち位置も良かったです。ミッチーファンなら是非、観ておくべき映画でしょう。残念なのは、3号の行動原理がよくわからなかったことですね。「味方だと思わせたい、実際は敵だった、でも彼の内面はこうだった」ということを踏まえた行動になってないんですよ。ただただ、残念。

去年のカイザに引き続き、ギャレンゼロノスと歴代サブライダーの方々の顔出し出演が叶ったことも嬉しいことです。ライダーは主演ライダー(と現行のサブ)ばかりじゃないってことを思い出させてくれるので。いずれは「2号ライダー大戦」とかも実現させてほしいです。

橘さんこと天野浩成氏が出演したのは、昨年、奥さんの雛形さんがフィフティーンの妻役で出演した縁かもしれません。

ただ、ホント、出ただけ感が否めないのが残念です。歴史改変でゼロノスが出てきたら、時間移動するかと思うじゃないですか。そういうの、ないですもの。

倉田てつをさん演じる南光太郎の変身シーンも気合が入ってて良かったですね。

ここ数年、『仮面ライダーディケイド』でBLACKの世界のBLACKとRXの世界のRXが共闘したことを免罪符にして、BLACKとRXを別人として同時に登場させてたのが気に食わなかったのですが、今回は、最初はBLACKとして登場し倒され、次にRXとして登場しライドロンに搭乗させてました。どちらにもファンがいる作品なので、両者とも立てたい気持ちはわかるんですが、やはり光太郎は同一人物として扱ってくれると嬉しいですよね。

そして、何より今回、良かったなと思えたのはゲンさんです。

ショッカーが秩序となった世界でも、真面目に公務員となって働いていたゲンさんは、警視庁の捜査一課のエリートってことで改造人間になってるわけです。しかも、既存の怪人ではなく、今作オリジナルのゲルショッカー的ショッカー怪人「チーターカタツムリ」に。

世の中にはライダーになりたい役者は大勢いますが、怪人になりたい人も多いはず。昭和の頃も怪人の人間態は、さそり男こと早瀬五郎(演:渚健二氏)を始めとして、結構いましたが、やはり「グロンギ」という発明は素晴らしかった。悪役として倒されてしまうとしても、怪人に変身できた、というのは輝かしい歴史になることでしょう。そんなわけで、見事、怪人に変身できたゲンさん役の井俣太良氏に惜しみない拍手を送ります。

チーターカタツムリ、見た目は気持ち悪くてインパクト強いし、オーズのチーターレッグ並みに速いし、強くて申し分ない活躍だったかと。

基本的に『仮面ライダー3号』という作品自体に対する評価は低いのですが、ミッチー目当てで劇場に行く人と、ゲンさん目当てで行く人を僕は止めませんw

他にも良かった点をあげようと思えばいくらでもあげられるんですが、基本的に「良かった点」は、作品の評価につながらない部分の「点」でしかないんですよね。

今回、春映画を初めて観た人がどう評価するのかはわからないですが、例年の春映画を観ている者としては「またか……」と肩を落とすこと請け合いです(春映画を観に行った人は、パレアナのように「良かった探し」することが、毎年の恒例行事になりつつありますけど)。

特に整合性という点では壊滅的です。

もちろん、映画は整合性が取れてればいいってもんじゃありません。でも、最初から「映画は整合性がすべてじゃないからね」という態度を提供側が示してくるのもどうかと思いますし、結果、作品がつまらないと「せめて整合性くらいは考えようよ」とか思ってしまうのです。というか、面白さと引き換えにかなぐり捨てられる整合性であるのなら、誰も文句は言わないと思うのです。

ひとつひとつの要素でも不満な点は目立ちます。

歴史が変わり、価値観が変わってしまった世界で、多くの仮面ライダーはショッカーの手先になってしまっています。そんな中で、BLACKを始めとする幾人かのライダーたちは、人間の自由のために戦っているんですが、世間的にはテロリスト扱い。

この辺の対比がね。劇場版『仮面ライダー555 パラダイス・ロスト』のカイザのようなインパクトが無くて、残念でした。

というか、先程も触れましたが、今回のレジェンドゲストの扱い、もうちょっと脚本力が強ければ、それぞれの出番が少なくとも、もうちょっと説得力を持たせられた気がするんですよね。

戦隊のゲスト乱入に関しては、せっかくスーパーヒーロー大戦GPと付いたのに唐突過ぎて、もう少しどうにかなるんじゃないかな、とは思いましたが、そこはあえてスルーするとして、シュリケンジンのコクピット内が、妙に殺風景で淋しく感じました。TV本編と同じセットで、ドライブも乱入してるのに、何故か。見せ方の問題?

一本の映画として不満な点だけじゃなくて、積み重ねでの不満点もあります。

平成の幹部級の怪人たちが十把一絡げで扱われるのも愛がない気がするし、何より仮面ライダーJの扱いの雑さは、毎回、どういう気持ちで観ればいいのか戸惑います。

春映画に限らず、オールライダー系というジャンルができてから、ずーっとJが雑に扱われてて、どうにもあれです。ジャンボフォーメーションって、そんなに扱いづらい設定ですかね……?

そして、今回の映画で個人的にもっとも酷いと思われる点は、「後味」でした。

なんと、今回、作中で現役の2号ライダーであるところの仮面ライダーマッハこと詩島剛が死にます。

いや、正確な表現ではないですね。正確には「死んでた」と台詞のみで唐突にラストに明かされたわけです。

ラストバトルの最中、マッハは敵に取り囲まれピンチになって、一斉攻撃を喰らって倒れるシーンがあります。ここまでなら、再起があるのか、助っ人登場フラグか、今後の展開への期待になります。が、実は映画でのマッハの出番はここまで。中盤、進ノ介の代わりにあんなに活躍したのに、誰もマッハのことに触れません。違和感は漂いますが、観客の興味は、ラストバトルや3号の顛末に向くので、しばし忘れています。

で、最後の戦いが終わり、狂った歴史が修正され、歴史が元通りにもどって3号も誕生しなかったことになる、というオチに続きます。

そこで、唐突に剛がどうなったのかモノローグで明かされます。

実は最後の戦いで死んでいた、と。ここで「は?」となります。

さらに、歴史が修正したのに、なぜか修正に取りこぼしがあって、剛の死はそのままだった、と言われます。さらに「はあああ?」となります。

どうやら剛が何故、死んだままなのか、どうやったら剛の生きている正しい歴史に戻るのか、という部分は、dビデオで配信される『仮面ライダー4号』へのネタフリらしい、ということだけがわかります。

……絶句でした。

おそらく『4号』を観ることで、剛が生きてる本来の歴史に戻るのだろう、ということが何となくわかるのですが、それにしても後味が悪い。

何しろ、その死に意味がないのですから。

TV本編で活躍するキャラクタが劇場版では死ぬ、というオリジナルの展開があっても、それ自体は別に悪いことじゃないです。特にお気に入りの映画『パラダイス・ロスト』では、TVシリーズのレギュラキャラクタが何人も亡くなりますが、物語の中で、それぞれの死がいろいろな効果を生んでいます。

でも、剛は劇中で死んだわけじゃありません。「死んでた」んです。あとで明かされただけです。ただ唖然とするばかりで、そこに盛り上がりもなければ、絶望も悲しみもないです。

「あ、あの攻撃で死んでたんだ。たしかに大きな攻撃だったけど、例年のライダー映画じゃ、あれくらいでは死なないよな。あそこで死んだってことは、ラストバトルの最中、誰も剛のピンチに気づかなかったってこと?」と思うくらい不自然なのです。

しかも、ラストのラストで「今更言われても……」と思うわけです。

例えば、陳腐ではありますが、剛がピンチに陥って、他の登場人物が助けに入るが間に合わず、死んでしまう。剛の仇を取るために、皆が団結して敵を倒す、という展開ならまだわかります。観客か、登場人物か、あるいはその両方の感情を揺さぶる展開が期待できるでしょう。話の主軸はブレてしまいますが、すでにブレブレの映画なので、そこは気にならないと思います。

さらに、「歴史が修正されれば彼は生き返る」と思わせておいて、いざ歴史が元に戻ったら、何故か生き返らない。何故だ? となったら、dビデオへの良いフックになるのかも知れません。

後味を悪くしないのであれば、マッハはやられっぱなしで、その後、画面に剛は登場せず、普通にハッピーエンド風に映画としてはきっちり完結して、『仮面ライダー4号』を観てみると、冒頭で、実は剛はあの時に死んでたと明かされる。あとで映画を観直すと、「あ、ホントだ。ラストシーンに剛がいない」と気づく、というミスリード構成も考えられます。これは、『4号』への呼び水にはならないかも知れませんが、4号冒頭の掴みとしては悪くない。

結局のところ、中途半端なのです。満足感よりも不満だけが残る。

映画のアフタストーリィにあたるdビデオスペシャル『仮面ライダー4号』の感想は後日、改めて書くつもりですが、『4号』を観ても、あれはあくまで「剛が死んでた、ということがキッカケになって歴史が繰り返すようになってしまった」という世界観の中でのエピソードであって、「何故、剛が死んだままだったのか」という謎を解き明かすような話ではありませんでした。

一見、繋がっているように見えますが、結局、『4号』は『4号』で独立した話であり、継続のためのリレー要素として「剛の死」というキーワードが利用されただけで、『3号』でわいた疑問を解消するための作品ではなかったということです。

「歴史の取りこぼし」って何だったんですかね?

3号やショッカーが(一旦)消えた世界で剛はどうやって死んだんですかね?

仕掛けをしておいて、種明かしがなされるように煽られた結果、「詳しいことは気にするな」と言われる、というオチですw

つまり、変な疑問を持たれてしまう『3号』側のネタの提示のしかたが悪かったことになります。

フックとしても作用せず、ただ単に、一本の独立した映画として不完全な引きを残してしまっただけ、という結果になってしまいました。

仮面ライダー4号』自体は、ネタのセレクトに好みの問題はありますが(特にファイズが好きなら、評価は真っ二つでしょう。僕は賛否でいうなら「否」かなぁ?)、とてもエンタテインメント性の高い作品です。観る価値のある作品です。

でも、映画『仮面ライダー3号』は、観る価値があるかと問われれば、うーんと首をひねってしまいたくなる作品でした。

ただ、『スーパーヒーロー大戦』鑑賞後は「なんだこの作品は……」と半ば怒った記憶がありますが、『仮面ライダー3号』を観終わった後は、ある種の諦観に支配されていました。「『スーパーヒーロー大戦』よりはマシだった」と言うことはできますが、そんな感想自体、建設的ではないですよね。

毎年、脚本を担当されている方には申し訳ないのですが、どうにも春映画はつまらないのです。

去年、監督が柴崎監督になって、幾分、マシになったように思えたのですが、やはり監督が変わっても、いろいろと限界があるように感じました。

……とりとめのない感想の羅列になってしまいましたね。

不満をあげればキリはないのですが、春映画は、夏の単独映画や冬のMOVIE大戦で言う「今年はよかった」「今年はいまいち」という評価よりも、数段下の部分で「マシだった」「どこそこが良かった」という評価が出ている気がするのです。

「お祭りなんだからしょうがない」なんて気持ちも流石に五年続けば、「ちょっとの工夫で何とかなるんじゃないの?」という思いに変わってきます。というか、普段のTVシリーズを観に来ないお客さんを当て込んでのクロスオーヴァイベントなのですから、これが面白くなきゃ、新規客層の開拓には繋がらないと思うんです。そろそろ根本的な部分にメスを入れた方がいいような気がしますが、どうなんでしょうね……?

いち観客として、いろいろ考えてしまいます……。

『スーパーヒーロー大戦GP 仮面ライダー3号』公式サイト