僕は行けないさ、行かない

耳をすませば』のDVDを購入しました。
元々好きな話ではあるのですが、故郷を出ている身としての、そして創作畑の端っこに携わっている身としての加点要素が大幅に加わります。
というわけで、他の作品は買わなくてもこれだけは買うという姿勢で。

猫の恩返し』もなんとなく楽しみにしています。

さて、紅子シリーズでの最大の叙述トリックと思われる例のアレは、検索をかけてみたところ、かなり多くの人が「そうなんじゃないか?」と予測していることがわかりました。
その推測の大前提(というか決定打)として「『六人の超音波科学者』を読んでいること」ということが挙げられます。

読んでなかったので思いつきもしなかったです。

六人の超音波科学者』が出たのは去年の9月。
恋恋蓮歩の演習』が個人的に衝撃的で、その反動からか、なかなか読み始められずにいたのですが、その間に『フーリガン』の発売、『半ライスのタテマエ』の公演、『アズラエル』の準備などが挟まってしまい、本の山の中へ埋もれてしまっていたのです。

アズラエル』執筆中に『捩れ屋敷の利鈍』は読んだんですけどね。
結局、『朽ちる散る落ちる』の発売に促されて本を探して読むに至ったわけです。
その間に、紅子シリーズを読んでなかったヨモ君に追い抜かれてしまいました。
彼は『捩れ屋敷の利鈍』を入口にして、『黒猫の三角』へ繋げていったわけです(それはある意味、良い導入かも)。
その頃、彼はミステリィ風の戯曲を執筆中だったから、現代の「嵐の山荘もの」における携帯電話の位置付けを気にしていたんだな、これが。
だから、その違和感に気付いたわけです。
「あれ、このシリーズって携帯電話は存在しないっていう設定なのか?」と。
でも、そんなことはありません。しっかりと『捩れ屋敷の利鈍』には携帯電話が存在しているのですから。

読んどけば良かった……。
みんなより半年以上、気付くのが遅れるとは……。