文章に「人」が出るという話

仕事の合間に「フーリガン」のPS2版をプレイしてます。
見てて思うのは、僕の文章と桑原師匠の文章って、全然違うのなってことです。
やはり文章には、書く人のクセっていうものがモロに出ますね。

フーリガン」は、僕と桑原師匠の2人で書いています。
最初は、僕と桑原師匠の2人で巫女姉妹シナリオを受け持つって話で、2人で手分けして書きました。1、3話が僕、2、4話が師匠。あとは悠加が僕で、悠紀が師匠って具合に。
が、その後、紆余曲折を経て、ひろみシナリオも僕が、そして宇宙人シナリオを師匠が担当することになります。
一応、僕が監修ということで、キャラクタ性や台詞の統一のため、そして他シナリオとの整合性を保つために、師匠の書いたテキストに手を入れている部分もあります。
するとね、読んでてわかるんです。
「ああ、ここは僕が治した(もしくは挿入した)場所だ」って。

これはユーザの方も気づくものなのでしょうか?
気にしながら読むと発見があるかもしれません。

……とまあ、文章は書く人によって特徴が出るって話をしてみました。
他人の文章をコピペして、自分の文章として発表するなんて、辞めたほうがいいですよ。

あとは今日、あったことをちょっとだけ書き留めます。

借りてた「ときめきメモリアル3」を始めてみました。
まだ冒頭。服装チェックが厳しいですね。
普通に服装を選択したつもりが、「げ……」とか言って、女の子が帰っちゃいました。

何気なくテレビをつけたら、TVアニメ版「シャーマンキング」の最終回を放映してました。
原作も方向修正に次ぐ方向修正でわけのわからないものになっているのですが、TVのラストはかなり目茶苦茶でした。
(最終回しか観てないのでなんともいえませんが)
ハオの言っていることが、ハオじゃないですね。あれじゃ、小物だ……。
長期連載の原作ものを期限付きでアニメ化するのってどうなんでしょう?