Saint Valentine's Day

「うーん……」
平坂いずみは首をかしげた。
いずみの手の中には、綺麗な包装紙に包まれた四角い箱があった。
その中身がチョコレートだということは、わかっている。何故なら、先ほど、いずみ自身が購入したのだから。
「何でこんなの、買っちゃったんだろ?」
よくわからなかった。
現在、いずみは大学受験の合格発表を控えた身である。もう学校の授業はないも同然だったので、気晴らしに駅前に買い物に出かけたのだが、その際、店先でかわいらしいチョコレートを見つけたので、ついつい買ってしまったのだ。
渡す相手もいないというのに。
この予定外の買い物のおかげで、いずみの懐はかなりピンチになってしまったのだ。
一体、自分はどうしてしまったのだろう?
でも──
と、いずみは考える。
購入する瞬間には、確かに渡す相手のことを考えていたような気がするのだ。それが誰のことなのかは、いずみにはわからなかった。
一瞬、胸にチクリと差すような痛みが走る。しかし、その痛みの意味を理解するだけの材料が、今のいずみにはなかった。
「いずみ〜、ご飯よ〜。降りてきなさ〜い!」
階下から母親の声がする。
もうそんな時間か。いずみは、軽くため息をつくとチョコレートの包みを机の上に置いた。
(買っちゃったものはしょうがないか。あとで自分で食べようっと)

食事を済ませ、毎週なんとなく惰性で見ているドラマを見終えてから、いずみは自室に戻ってきた。
「あれ?」
見ると机の上に置いたはずのチョコレートの包みがない。
部屋を出るときに落としたのかと思い、床の上をさがしてみたが、チョコレートは見つからなかった。
ひょっとして、チョコレートを買ったと思い込んでいたのは、いずみの妄想だったのではないか? そんな想像が彼女の脳裏をよぎる。
いや、そんなはずはない。いずみは慌てて首を振った。チョコレートを買ったのは事実だ。レシートだってある。
いずみは、右手を唇に当て、しばらくチョコレートのありかについて考えたが、やがて探すのをやめた。何故かはわからないのだが、探さない方が良いような気がしたのだ。
その瞬間、いずみの頬をツウと涙が流れた。
しかし、その涙の意味を理解するだけの材料が、今のいずみにはなかった。
ただ、少しだけ、ほんの少しだけ、心の中のしこりが取り除かれたような気がしていた。

もう、春はすぐそこまで迫ってきていた。