knife edge

芝居や映像、ゲーム──
自分で作品を世に出している人たちなら、ネット上でその感想に立ち会うことは多いと思います。
創作物に限りませんね。自分が設計した製品、企画した商品なんてものの批評もあるでしょう。
その中には、褒めすぎだろっていう評もあれば、読んだら死にたくなるほどの酷評もあるわけです。
芝居のアンケートにもたまにあります、攻撃性の強い感想が。
まあ、感想にもいろいろあって当人に向けるために書かれたものと、自分が感じたことをつらつらと書く吐露とはまた性質が違うわけですが、どちらにせよ酷評は辛いものです。

褒められれば嬉しいし、けなされればヘコむ。
それは当たり前なことなのですが……。
でも、多くの人は自分に言葉のナイフエッジを向けられる、ということにあまり慣れていないのではないかと思います。
批判されなれてない、っていうのでしょうか。
「その鋭さを知らない」っていうべきかな?
面の皮が厚くなってしまっても困るのですが、文字のコミュニケーションはこれからも増えていくでしょうから、多少の耐性はつけておいた方がいいかも知れません。

とここまで書いたにも関わらず、今回言いたいのはそういうことじゃないんですね〜。
今、ちょっとハマってるんです。

何かというと……

えー、批判されることの疑似体験──になるかどうかはわかりませんが、ちょっと自分的に凝ってることがありまして……。
どんなことかといいますと「自分が評価している作品の酷評を見てまわる」ってことなんです。
これが結構面白い。

RSSでブログ等の内容をいち早く検索できるようになって個人的意見が掬いやすくなったからこそ、できるんですけどね。
例えば、『キューティーハニー』で検索をかけるといろいろな感想が出てきます。
その中に一定の割合で酷評が存在します。
僕はあの映画をそれなりに評価してますから、その批判のひとつひとつに「そうか?」「何でそうなるの?」「その了見は浅くないか?」ってツッコミを入れたくなったりするわけです。
もちろん頷ける批判もあるのですが、それを許している自分を再発見したりもします。

……別に「自分と違う視点の意見をサンプルして視野を広く持て」なんて大層なことを言ってるわけじゃないですよ。

結局、信頼できるのは自分の目だけだってことです。
やってみてください。

悪趣味かな?(苦笑)