姑獲鳥の夏
講談社ノベルス『姑獲鳥の夏』が世に出てから、すでに11年が経過しようとしている。
僕が初めてこの京極堂シリーズを読むようになってからも、はや8年だ。
その間にいろいろなものが変わった。
8年という歳月──変わって欲しくないものが変わってしまったり、変わって欲しいものがそのままだったり──は、「時間とは、納得はできないけど受け入れるしかないものなのだ」ということを知るには十分な時間といえる。
そんな時間の経過の中で、ようやく『姑獲鳥の夏』が映像化された。
時の流れが目まぐるしく、昨日新しかったモノが今日古い、とされる世の中で、それでもエンタテインメントというものだけは、時の流れに左右されないものらしい。
監督は、ジッソー君こと実相寺昭雄。
どんな映像になるのだろう、と思っていたら、非常に変わった、ユニークな絵作りをしていた。
……変わったと書いたが、しかし、どこか懐かしい感じもした。この映像に、どこか既視感のようなものを感じるのは、僕たちが幼少期に『ウルトラマン』や『ウルトラセブン』の再放送を見て育ったからだろうか?
今思えば、餓鬼の時分になんつーものを見せられていたんだ、とか思ってしまう。
原作愛読者の方は、この映像化にどれだけ意義があるのか、と考えてしまうところだろう。
実際、この短い尺の中で原作のテイストのすべてを抽出することは不可能だと言っていい。そんなことは、最初からわかっているので、「こんなの『姑獲鳥』じゃない!」と言うのはお門違いであると思う。
この作品──実相寺版『姑獲鳥』──で重要なのはビジュアルだと感じた。原作の視覚的サブテクストだという位置付けがしっくり来るように思う。
事実、眩暈坂や京極堂などといったロケーションは、僕のしていた想像とは全然違うものの、ひとつの世界観を作り上げることに成功していたように思う。
しっかし、忘れていたが、京極堂シリーズとはシリーズ通して評価すべきものであって、『姑獲鳥の夏』単体だとやけに猟奇的で鬱度の高い作品に思えてしまうなぁ……。
第一作目ゆえに、関口が探訪者ではなく、事件の当事者であることからも、その鬱度が窺い知れるかと。
やはり、ここはシリーズ化してもらわないと……。
キャスティングには、いろいろ言うべきところもある──実際、僕のぼんやりと想像していたキャスティングとは似ても似つかない──のだが、これはこれで確立した世界観を作り上げてしまっているので、今更突っ込むところではないだろう。
その中で、唯一、作品的にもキャスティング的にも救いだったのが、篠原涼子の存在。
篠原涼子は、関口の妻である雪絵役。
雪絵は、京極堂の妻である千鶴子と並んで、原作では影の薄いキャラクタだが、映像になって登場すると説得力が違う。
冒頭に何気なく登場する篠原涼子、そして、ラストで微笑む篠原涼子。その存在感。
ずっとヘタれタレントかと思っていたのだが、それはとんでもない誤解だった。
関口が──いや、観客である僕が、か?──人間として自我を保っていられるのは、彼女の存在があるが故なんだなぁ、と酷く痛感した。
座標が均等なこの世界において、ホームポジションという特異点を設けなければ生きていけない──そういう人の心の弱さが表現されていたように思う。
監督が意図したものなのかどうかなんて、知る術はないけど……。
『姑獲鳥の夏』(2005)
監督:実相寺昭雄
脚本:猪爪慎一
プロデューサ:小椋悟/神田裕司
音楽:池辺晋一郎
出演:堤慎一/永瀬正敏/阿部寛/宮迫博之/原田知世/田中麗奈/松尾スズキ/恵俊彰/寺島進/京極夏彦/原知佐子/三谷昇/清水美砂/篠原涼子/すまけい/いしだあゆみ
原作:京極夏彦
追記:パンフにフルキャスト掲載されていないというのは、どうかと思う……。