タイムスライド
『ズッコケ中年三人組』の感想を見て回ると、よく引き合いに出されている作品である。
『未来報告』は、タイムカプセルに「20年後の自分」という作文を入れることになったハチベエが見た夢の中の話、という設定で20年後の三人組の活躍を描いたものだ。
作中では32〜33歳ということになっていて、39〜40歳の三人組を描いた『中年』よりも7年ほど若い設定になる。
よく取り沙汰されるのは設定の違いについてだ。
『中年』では、『未来報告』で描かれたクラスメイトの将来の設定を幾分かは踏襲している。
しかし、三人組の設定は結構食い違っている。
『未来報告』ではショッピングモール内に移設した八百八で八百屋稼業を継いでいるハチベエ(20年後の未来ではバイオ技術の発達によって野菜が豊富になっている)だが、『中年』ではコンビニエンスストアに鞍替えしてなんとかやっている。
奈良の埋蔵物研究所職員であったはずのハカセは、大学の研究室に残れず、学芸員の枠もいっぱいだったため不本意ながら中学教師という職に甘んじている。
ホテルのフロントマンだったモーちゃんは、就職した大阪の会社が倒産し、地元に戻ってレンタルビデオ屋のバイトにいそしんでいる、という感じだ。
後者の方がリアルか、という問題はさておき、『中年』の設定は発行された2005年当時の世相を色濃く反映しているように思う。
『未来報告』は夢オチ的な話であるので、『中年』と設定が食い違っていてもまるで問題はない。逆にクラスメイトの将来においてかなりの確率で言い当てているハチベエに予知能力があるんじゃないか、という疑念を持ってしまうほどではある。
が、問題はそこじゃない。
『中年』を読んでショックを受けた人の何割かは、「たとえ夢とはいえ『未来報告』でああいった夢のある未来像を見せたんだから、わざわざ『中年』を出して、夢のない未来に書き換えることないんじゃないか?」という不満を持ったようなのだ。
まあ、そんなこともあって今回、未読だった『ズッコケ三人組の未来報告』を読んでみる気になったわけだ。
で、実際に読んでみて思ったのは、『未来報告』と『中年』は同時に存在してもかまわない代物だということだった。
ここで『中年』のコンセプトに立ち返ってみたい。
第一作『それいけ! ズッコケ三人組』が発行されたのは1978年だ。この時点で三人はすでに六年生だった。以降、彼らは2004年に発行される最終巻『ズッコケ三人組の卒業式』までずっと六年生だったわけだが、あのまま齢を重ねていたとしたら彼らは不惑を迎えているはずである。そんな彼らの「現在」を書いたもの、それが『ズッコケ中年三人組』なのだ。
つまり、これは1978年に小学校六年生だった者の、2005年という「今」を描いた作品だといえる。
では、『未来報告』はどうか。
この作品が世に出たのは1992年である(本文中の表記によれば「一九九×年」)。内容のその時代の技術や未来観を色濃く残している。
この作品で描かれる未来の世界は20年後、作中表記は二〇××年とあるが、「現代」が90年代である以上、2010年代が舞台であると思われる。発行年を「現代」だとすれば2012年の話、ということになる。
これは「未来」の物語なのだ。
ズッコケ三人組に限らず、登場人物が歳をとらずに繰り返される物語はループしているように見えて、実は世界そのものが少しずつ未来へスライドしていることが多い。
『ドラえもん』も1969年の連載開始時点以降、世相を取り込みつつスライドしてきた(が、1980年代あたりを境にプッツリ「作中現代」の技術発展がなくなってしまったけど)。
『未来報告』で描かれる「現代」も「未来」も1992年当時の技術レベルと、そこから想像される未来でしかない。
20年後の未来は、バイオ技術が発達していたり、沖合いの人工島に空港が移設されVTOLが垂直離陸していたりと派手にはなっているが、携帯電話が普及したりはしていないし(車載電話は出てくる)、インターネットに相当するようなものも描かれていない。
また、『未来報告』の中で「六年生のお年玉で、CDをなん枚か買ってきた」という表現があるが、『中年』が2000年代の話だとするなら、彼らの小学生時代にCDはない。
別に矛盾点をあげているわけではなくて、ズッコケは50巻各巻がそれぞれ発行された年代の出来事である、という点を強調したかったわけだ。
懐かしくて読み返してみた『ズッコケ時間漂流記』でも現代は「一九八×年」と書かれており1779年を「二百年以上もむかし」と書いている(『時間漂流記』の発行年は1982年)し、トランジスタやICなんて単語も出てきていた。
つまりどういうことかというと、ズッコケ三人組50巻は、それぞれの巻が独立した世界のパラレルワールド、とはいかないまでも1978年から2004年までの「27つの1年ずつズレた別世界」の物語のお話と理解した方がスッキリするということなのだ。
「え? じゃあ、こっちの世界では怪盗Xは出なかったの? 江戸時代に行かなかったの?」とかそういうわけではない。
『中年三人組』では、過去において三人組は怪盗Xと数回にわたって対峙しているし、株式会社を立ち上げたこともある、と表記されている。ただ、それが1978年当時のこととして描かれているだけの話である。
『未来報告』で埋めたタイムカプセルに関しても10年前に掘り出したことになっているので、やはり年代は違えどよく似た出来事・事件は起こっていると考えるのが妥当だろう。
創作において作中の年号はぼかすべきだ、と考える人もいるが、やはり世の中の技術や世相は1年で大きく変わるものだから、明かす明かさないは別にしても、設定はしておくべきである、と僕は考えている。
メディアミックスにおいて、年代的なズレや矛盾が生じる場合もあるが、それはそれと割り切るしかない。『ドラQパーマン』も大好きだが、やっぱり『ドラえもん』の世界では、大人になった星野スミレがいつまでもミツ夫の帰りを待っている方が、綺麗だしね。
ともあれ、このエントリィの肝は、「ループではなくスライドだ」ということ。
この考察に出てきた「タイムスライド」という言葉、何かに使えるような気がするので、ちょっと暖めておこうかな、と思ってみたり。
え? 『ズッコケ三人組の未来報告』の感想?
そりゃ、面白かったですよ。
作:那須正幹
絵:前川かずお
ISBN4-591-05445-4
《蛇足》
本文に組み込むか迷ったのだが、脱線しそうだったので、省いた文章を以下に。
『ウルトラマン』や『ウルトラセブン』の作中年代は近未来を想定、『帰ってきたウルトラマン』は放映当時の70年代がそのまま「現代」。しかし、『帰ってきたウルトラマン』の世界では過去において、ウルトラマンもセブンも地球に来ている。『仮面ライダーアギト』と『仮面ライダークウガ』の年代のズレも同様だろう。