東北地方太平洋沖地震(2)

今まで経験した中で最大の地震は、当時のツイートを確認するにかなり長い時間、揺れていたことと思います。
その最大の地震に恐怖しながらも、震源地が「ここではない」ことはわかりました。部屋の大きな本棚を押さえながら、直感的に思ったのは「東京がこれなら、震源地は……」という心配でした。
でも、僕が心配していたのは揺れによる倒壊や火災などの被害。実際に多くの人の命を奪ったのは、想像をはるかに超える「津波」でした。

戦慄しながら、報道を見入っていたように思います。
被災地の状況を報道で見つめながら、精神的に参ってしまった人も多いのではないでしょうか?

その日はJRが終日運行停止となり、東京は帰宅難民であふれかえりました。
相方の働く服屋が近くにあり、そこのスタッフの女の子たちが帰れなくなってしまったため、自宅を開放し、Twitterに代表されるネットメディアなどで周囲の無事を確認しつつ、ネット社会のありがたみを感じていたように思います。

その後も何百という余震が続き、また別震源地震を誘発しました。
翌日には父の実家がある中越、15日には僕の実家がある静岡が揺れ、肝を冷やしました。
福島の義妹の実家、妙高高原の親戚、静岡の両親や親戚たち、どこも無事のようでほっと一安心しております。

ここ二日ほどは余震の回数、大きさも減少傾向にあり、幾分ほっとしてはいるのですが、とは言っても2004年のスマトラ沖では3ヶ月後に大規模地震が起きているので、まだまだ油断はできない状況です。

災害の大きさ、突然さに対し、政府や自衛隊、消防、警察、東京電力などの動きはすばやくて(批判はあるものの)、個人的には日本も捨てたもんじゃないと思わせてくれました。
今なお前線で頑張るすべての人たちに感謝するとともに、震災で被害にあったすべての人にお見舞い申し上げます。

今は「不謹慎」を廃絶する「自粛ムード」が想像以上に強くて、今後の日本の経済、特に我々のいるゲーム業界などの娯楽産業に対する危機感が半端ないのですが、皆で力を合わせて乗り切っていきたいです。
D.C.IIIを待っていてくれる人たちのためにも。