俺を腰抜け呼ばわりするなよ、ニードルス

今日も引きこもりDAY。ていうか、結構、切羽詰まってます。
夜に急に弟が来て、一緒にラーメン屋に行ったくらいかなぁ。

あ、そうそう。
3月に赤坂ACTシアターでやる『天保十二年のシェイクスピア』、行くことにしました。
上川と古田を同じ舞台の上で観てみたいんだよね。
今週末あたりに前売の先行販売があるので、ヨモ君にチケット取ってもらおうと思います。
一緒に行きたい人はメールください。

昨日の続きでも話そうかな。
昨日は、過去へ戻る場合の時間移動を考えたよね。
引き続き「タイムトラベルは可能である」ということと「構築行為不変の法則はありえない」という定義(仮に「オメガモデル」としよう)で考えるからね。
「構築行為不変の法則」を認めない場合、個々のタイムトラベラーの主観的な時間移動しかありえないので、「過去へ行き過去の人間と会うこと」はできるが「未来から過去へ来たという人に会うこと」はありえないこと、理解してくれたかな?
これは、過去へ時間移動するときに「他のタイムトラベラーとばったり出くわす」可能性もないことを意味している。

じゃあ、今度は未来に飛んだ場合はどうなるのか、考えてみて。
例えば、10年後に時間移動して10年後の自分に会うことはできるのか?
答えは否。
10年後の世界に行けば、自分は10年の間、行方不明だったことになってるだけなのだ。
結果としては冷凍睡眠とかウラシマ効果っていうSFルールと似たような結果になるね。決定的に違うのは、10年という間、自分という質量がこの世に全く存在しないという点だから、前述の2つの方法で見る未来とは確実に違うものが見られると思う。

ややこしいけど、過去に行く場合と、未来に行く場合の2つのルールが理解できれば、このケースでもSFは作れるね。ただし、つまらないSTORYしか提供できないかも。

自分以外の人がタイムトラベラーだった場合はどうなるか?
わかるのは「過去へ行った人」にはもう二度と会えないということと、「未来に行った人」にはまた会えるかもしれないということ。
「未来へ行って帰ってきた人」というのには会えないから心配しないでね。

いや〜、「構築行為不変の法則」って偉大だよね。