散文的に

弟が貸してくれたDVD『機動戦士ガンダムSEED』最終巻、観ました。
全12巻かと思ったら全13巻っていう……、まあ、それはいいんですけれども。
ずっと勘違いしてました。これはキラとアスランの物語だと思っていたんですけれど、全話通して考えてみたらキラとフレイのお話だったんですね。
異論はあるかもしれませんが、僕的にはそう考えた方がスッキリと脳内におさまりました。

こと少年が主人公の物語において、女性キャラクタというのは主人公を中心にいろんな位置に配置され、意図的かそうでないかに関わらずいろいろな役目を持ち、主人公の男性である部分をいろんな角度からフォローし、物語に深みを与えていきます。
冒頭文を「人生において」と差し替えても問題ないかもしれません(と自分の現在過去を振り返ってみたり……)。

他のガンダムはどうかはわかりませんが「機動戦士」と呼ばれているシリーズには、大抵、ララァ・ポジションみたいな女性のポジションがあります。フォウ・ムラサメ然り、エルピー・プル然り。それと違うようで近い。そんな感じですかね、フレイ・アルスターは。

物語の最大のターニングポイントである中盤に、キラとフレイは、心のすれ違いを残したまま別れ別れになり、そして結局、再会を果たせぬまま、死別します。
最後の二人の会話は、救いを象徴するものなのか、単にキラの見た幻想なのか、そんなことはどうでもよくって、彼の隣にラクスがいようが、カガリがいようが、フレイと過ごした日々はキラだけのもので、キラしか知りえないことなのです。

ある種、超自我を行動理念にしている他のキャラクタと比べ、普通の現代人のまんまの象徴であるフレイの行動は生々しく、ときには視聴者に不快感すら与えます。
そのフレイを守りきれなかったキラ、という構図が、まあガンダムSEEDの示した問いなのかなぁ、などと見ながら考えました。
もうちょっと脳内で転がしてみる価値はありそうです。