『星の王子さま』へのスタンス

本屋を覗いたら池澤夏樹訳の『星の王子さま』(集英社)が出ていた。青い表紙の可愛らしい装丁の本だった。

これで新訳ブームもひと段落だろうか?

いやいや、とあるサイトの情報によれば、角川書店や新潮社からも出るという話らしいし、まだまだ気は抜けない。

そんなわけで、この機会に、自分の『星の王子さま』に対するスタンスを明確にしておこうと思う。

子供の頃、すでに『星の王子さま』は自宅にあった。

あれは何歳の頃だろう。

多分、7歳か8歳の頃にはあったんだと思う。

いや、もっと小さかったか?

「岩波お話の本」という今でいう「愛蔵版」のハードカバーだった。父さんの本だったのか、それとも母さんの本だったのか、僕は知らない。何故、そんなものが自宅にあったのかも知らない。

ただ、自宅にあったのだ。

挿絵がたくさんついていたものの、ハードカバーの本は大人が読むものだと思っていたので、僕はただ、ちょくちょく挿絵を眺めるだけだった。

とくに帽子を想起させる象を飲み込んだウワバミの絵(後にこれはウワバミなどという曖昧なものではなく、ボアだと知るのだが)とバオバブの絵が印象的だった。

それとは別に版形の小さい『星の王子さま』がうちにあったことがあった。それが岩波少年文庫版だったのかどうかは、よく憶えていないが、本が小さくなってしまったかのような錯覚を覚えたことを記憶している。

その小さい本と大きな本を同時に見ることがなかったのだ。

そんなわけで、挿絵だけは幼少の頃にすべて見ておきながら、成人するまで一回も読んだことのなかった作品、それが『星の王子さま』なのだ。

星の王子さま プチ★プランス』というTVアニメが1978年7月より翌3月まで朝日放送系列で放映された、ということを知っている人は少なくないだろう。

しかし、僕はその作品は観ていない。

当時、小学校一年だったはずで、その年の7月にはテレビ朝日系列の「静岡けんみんテレビ(現静岡朝日テレビ)」が開局しているので、放映されていたなら少なくとも記憶にはあると思うのだが、残念なことに観た記憶はない。

翌1979年に日本テレビ系列である「静岡第一テレビ」が開局するまでは、「静岡けんみんテレビ」はテレビ朝日系列と日本テレビ系列のクロスネットだったそうなので、静岡では放映されていなかった可能性は高い。

観たことがないのだから、この番組が原作ファンにとってどのような評価をされているかも知らないし、別に知りたくもない。

ただ、主題歌だけは別で、おそらく両親が買ってくれたであろうTVアニメの主題歌ばかりを集めたカセットテープに収録されていた。それがオリジナルの音源なのか、当時よくあったパチもの(というか、マイナ歌手によるカバー音源)なのかは、確認しようもない。おそらく後者であったと思われるが、「プチープラン、プチープラン、ルルルルールールー」という歌詞は強烈に脳に刷り込まれてしまっている。

だから、僕にとって『星の王子さま』に関する記憶といえば、子供の頃に眺めた挿絵(正確に言うなら、それは「ガリマール版の挿絵=オリジナル模写」なのだが)と、そして観たこともないアニメの主題歌、この2つだけだったのである。

そこからの約20年余の時間、僕は全くサン=テグジュペリと向き合わなかった。

エンデを読み、トールキンを齧り、ムアコックを読みふけっても、僕の興味は『星の王子さま』へは向かなかったのだ。

僕の記憶に、アントワーヌ・ド・サン=テグジュペリという名前がしっかり刻まれたのは、昨年だった。

その時、僕は両親の箱根旅行に一泊だけつきあう約束をしていた。

静岡から車で箱根へ赴いた両親と落ちあうため、ロマンスカーと登山鉄道を乗り継いで、単身、強羅へと向かったのだ。

一泊だけして、翌日、親が箱根ガラスの森を案内してくれるというので、それにつきあったら、さっさと東京へ戻る、そんなつもりでいた。

翌日は小雨がたまにパラつくはっきりしない天気で、大涌谷を覗いたあと、僕たちは車で仙石原へと向かっていた。

仙石原といえば思い出すのは京極夏彦の『鉄鼠の檻』だ。そんなことを考えて、ぼんやりと車外を眺めていたら、王子が目に入った。

昔から挿絵で見慣れた正装した王子の姿。

その姿を見た途端、ガラスの森への道順を確認している両親に頼んで、急遽、行き先を変更してもらったというわけ。

これが『箱根サン=テグジュペリ★星の王子さまミュージアム』を訪れることになった20余年の伏線を交えた経緯である。

星の王子さまミュージアムは、富士箱根伊豆に点在するプチミュージアムとか呼ばれているものの類に分類される空間で、ミュージアムというよりはサン=テグジュペリ記念館を中心に構成されたテーマパークだと言った方がしっくり来る。

僕がこの手の作りこまれた公園を好むのは周知の事実だし、単純に展示物に興味を持ってしまうのも、ありふれた話だ。

箱根彫刻の森美術館に行って、パブロ・ピカソについてわかったような気になってしまうのと、まあ、言ってみれば同じことである。

東京に戻った僕は翌日、岩波少年文庫版を手に入れ、『星の王子さま』を読んでいる。

そのときの感想は、以下のようなものだ。

早速、『星の王子さま』を読了。

内藤濯の独特の翻訳口調が少々、目に余る。テクストの改善案が脳内を縦横無尽に駆け巡るが原文を読んだわけではなし、手にしたところで読めるはずもないので、このサブルーチンを廃棄。

昨日、作者の人生を一気に辿ったせいか、いろいろ考えるところあり。まあ、それはそのうちどこかで書くとして──

大事なのは挿絵。

子供の頃に眺めていた挿絵が僕にとっては重要だったのだ、と気付く。

おそらく、昨日、『箱根ガラスの森』に行こうとしていた両親に急遽『星の王子さまミュージアム』へ行くことを提案したのは、この小さなプランスの肖像を見たからなのだろう。

何か、刷り込まれていたものがあったようだ。

それが何かはわからないけれども。

四半世紀を経て、子供の頃、読めなかった物語とのようやくの対面を果たして、痛烈に感じたのは、自分と作者の間には翻訳者が介在する、という事実だった。

この時点では、翌年1月に『Le Petit Prince』が晴れてパブリックドメイン入りを果たすということを知らなかったから、かなり歯痒く思ったはずである。

もちろん原文を知らないのだから、「この翻訳は適切ではない」などと言いたかったわけではない。

ただ、日本語の運び、語句のセレクト、会話のやりとりなどに対し、非常に座りの悪い感覚を覚えたのだった。

原文無視でリライトするのも面白いかも、と、その時は少しだけ思ったりもしたものだ。

そんなわけで、今年に入っての新訳ブームは渡りに船といえよう。ほんの一年足らずで、新訳本が読めるなんて、ラッキィだった。

昨年4月、サン=テグジュペリの乗っていたP38の墜落地点が特定されたとフランス文化省が発表したり、今年に入って『Le Petit Prince』の日本での著作権保護期間が満了したりと、まあ四半世紀寝かせた割には、ちょうどいいタイミングで読むことができたんだなぁ、と偶然に感謝。

せっかくだから、もうちょっとだけ『Le Petit Prince』とサン=テグジュペリを追ってみたいと思う。