サボる響鬼

というわけで、九つの世界の中の大トリとなってしまった「響鬼の世界」。

それだけ注目度が高かったということでしょうか。

僕自身も「見たい」「けど怖い」的な気分で、この日を待ってました。

響鬼編は、『仮面ライダー響鬼』後半に参加した米村正二氏の脚本。

會川昇氏の解釈による響鬼編を観てみたかった気もしますが、氏は1クールのみの登板。1クール目は、「本編を経験したことない脚本・監督」が作る、っていう縛りのようなものがあったような気がしましたが、2クール目以降は、特にそんなこともないようで。

っていうか、九つの世界が終わるまでは続投して欲しかったなぁ。

響鬼の世界のヒビキ役はデビット伊東、そしてヒビキの弟子のアスム役は『三丁目の夕日』の小清水一揮くん。

面白い配役ですよね。

デビットヒビキとアスムの関係は、細川ヒビキと明日夢との関係とは全然違ったので「少年」という呼称は必要ないかなぁ、なんて思いながら観ていました。

ディケイド版響鬼の世界では、特に猛士という組織は存在せず、魔化魍を「音撃道」という武道の三流派が争うようにして倒している、という背景。

ザンキ流、イブキ流の面々は、響鬼本編と同じ俳優が演じているので、ちょっと懐かしい気分に。でも、どっちかというと「ハイパーバトルビデオ」のような企画モノを観ているような気分になってしまった気も……。

本編では、「響鬼威吹鬼轟鬼」という3人の鬼がメイン格に据え、さまざまな「師匠・弟子の関係」の模様を描いていましたが、今回の世界では、「響鬼威吹鬼斬鬼」の3人が同格で、その弟子たちという意味で「アスム、アキラ、トドロキ」が並列して存在する、という図式に。

しかも対立している各流派の弟子たちに恋愛要素(ザンキの弟子のトドロキが、イブキの弟子のアキラに片思いしている)を持たせることによって、シチュエーションを成立させようとしています。

2話でまとめるには手堅い設定ですよね。

でもなぁ……。

個人的には、トドロキがアキラに懸想って設定は、なんか淋しくなってしまいます。

ザンキ流のトドロキ」は、「戸田山」じゃないですし、「イブキ流のアキラ」が「あきら」ではないってことは、頭ではわかってるんですけどねぇ……。

なんか、故神戸みゆきさんの顔を思い出して、切なくなってしまいました。

僕と同様に、トドロキのピンク照明の当たったニヤケ顔を見て、ブルーな気持ちになった響鬼ファンは多そうです。

その一方で、筆字による演出とか、山岳ロケとか、クウガとの共演(ユウスケを弱く演出するのはやめて欲しいのですが)とか、響鬼に対するリスペクトも随所にあったので、まあファンに対する配慮は50:50ってとこでしょうか。

さてさて、内容ですが、各流派の対立というバックボーンを見せつつも、メイン格のヒビキだけは、別の悩みを持っているかのように、ふるまっています。自ら戦おうとはせず、鬼になることすら躊躇する始末。

それもそのはず、ユウスケを助けるために響鬼に変身したヒビキさんは、テングを倒したあと、伝説の魔化魍「牛鬼」の姿になってしまったのです。

いや〜、個人的なトラウマ妖怪「牛鬼」の登場です。

鬼太郎の次はヒビキさんまで牛鬼化とは。おそろしや……。

基本的に魔化魍は、「ツチグモ」や「オトロシ」など片仮名表記だったのですが、「ギュウキ」ではなくあえて「牛鬼」という漢字表記にしているのも、「鬼」という文字を際立たせ、音撃戦士である「鬼」と関連付けたかったからでしょう。盲点でした。

さて、後半はどうなることか。

次回、「終わる旅」。固唾を飲んで見守らせていただきたいと思います。

ちなみに、横弥君はザンキ流の道場に「天照皇大神」の文字があったことを指摘してました。

たしかに……。「鬼」っていうのは「まつろわぬ民」とかのイメージが強いので、皇祖神である天照大神の名前とはミスマッチな感が残る。

吉野を中心とする「猛士」は、まつろわぬ民の職能集団が母体かな〜、とも思っていたのですが、「音撃道」はどちらかというと体制に組する武術の流派なのかな?

この辺もディケイドが世界を破壊した結果なんですかねぇ?