ヤマグチノボルさん……

4月4日、世間的にはライトノベル作家として知られる文章書きヤマグチノボルさんがこの世を去ったのだそうだ。

親戚の家に用事があって向かっている途中の電車の中で訃報を知ったので、しばらく電車の中で固まってしまった。

僕が最初にノボルさんに会ったのは2001年の2月。

12年前のことだ。

漫画原作者さんの事務所を辞め、5年ほどコンシューマ業界で働いていた僕は、その当時、フロントウイングに身を寄せていた友人のプロデューサMOKAくん(現XERO代表)に呼ばれて、とあるギャルゲーの移植を担当することになった。

その作品が『カナリア〜この想いを歌に乗せて〜』。

今、一線で活躍する多くの人が、この作品がキッカケで業界に入ったと言っても過言ではない、ある種の記念碑みたいなソフトだ。

ノボルさんと(桑島)由一くんが次回作『グリーン・グリーン』(後の『グリーングリーン』)のシナリオの執筆で忙しかったため、コンシューマ移植するためのシナリオのローカライズと、追加ヒロインのシナリオ執筆を依頼されたというわけだ。

仕事が正式に決まって、中華料理の店か何かで飯を食うことになって、で、その時にノボルさんと由一くんに会ったのだと思う。

それまでもギャルゲーと呼ばれる作品に関わったことはあったが、コンシューマ業界とPCゲーム業界ではシナリオライタの占める重要度が違う。

ライタメインのPCゲーム業界に入って最初の仕事がカナリアだったので、最初は移植にあたって、テキストサイトで一世を風靡した彼らの尖った作風を身体に刷り込むところから始めなければならなかった。

これは、その後の僕にとっても極めて重要な体験だったといえる。

その当時、彼らがカナリアの楽曲の作詞をしていたこともあり、FW内に「作詞はシナリオライタがするものだ」という認識があったため、僕もその後の作品で何曲か作詞させてもらったりもした。

最後に会ったのは去年の11月、MF文庫J新人賞の受賞パーティの場だった。

挨拶のあと、僕のいたテーブルの近くに来たので、少し話をした。

随分痩せて、昔の面影とは違った印象だったけれど、お元気そうだった。

昨年あたりから新しい企画を模索するため、再びフロントウイングさんに顔を出すようになっていたので、病気の経緯や最近のエピソードをFW社長の山川さん伝手で聞いてはいたし、数年前に僕も知人をやはり癌で亡くしていたので、「つい最近まで、元気そうだったのに」という印象が関係ないということを知ってはいたのだが、ノボルさんはまだ生きるような気がしていた。

まさかこんなに早く逝かれてしまうとは……。

残念でならない。生きていればもっとたくさんの作品を世に出しただろうに。

つい先日、誕生日を迎えてTwitterでも「41歳の春だから」などと言っていたのに。同年齢のクリエイタの死はとても辛い。

昨年は『パチパチ』でご一緒した矢野りん子さんが亡くなり、今年は『カナリア』で関わったノボルさんが亡くなり……ホント、癌って何なんだろうね。

以前、ノボルさんに郵送でいただいた『つっぱれ有栖川』の単行本を読み直そう。

故人のご冥福をお祈りします……。