『Le Petit Prince』と邦題〜その1

今日は邦題の話。

星の王子さま』として広く知られている物語の現代はフランス語で『Le Petit Prince』です。

英題に訳せば『The Little Prince』、見ればわかるとは思いますが原題にはどこにも「星」を示す単語はありません。

現在知れ渡っている「星の王子さま」という邦題は、翻訳者である内藤濯氏による創作なのです。

今年1月22日を以って、『Le Petit Prince』の日本での著作権保護期間が満了し、新訳ブームとなっているのは知っての通りだと思いますが、その殆どは「星の王子さま」という内藤氏のつけた邦題を踏襲しています。

これに関して、岩波書店、内藤氏側でどんな動きがあったかといえば──

まずは5/26のasahi.com出版ニュース《新訳「星の王子さま」続々 岩波版半世紀、独占権が消滅』》より抜粋。

 出版を決めた4社の本はいずれも題名に「星の王子さま」を使う予定だ。岩波書店と内藤さんの翻訳の著作権の継承者である長男で作家の初穂さん(84)はこれに反発している。原題を直訳すると「小さい王子」。「星の王子さま」は、濯さんのアイデアだからだ。

 初穂さんは「新訳ならば、それにふさわしい題名をつくるべきだ」と話す。「『星の王子さま』の名前で出版するなら、法律などに詳しい人に相談して何らかの手を打ちたい」。ただ、著作権の専門家は、一般的に本の題名には著作権は及ばず、法的に争うことは難しいとみている。

そして、同じくasahi.com出版ニュース6/22の《「星の王子さま」新訳書名で要望書 岩波書店からの抜粋。

 岩波書店は22日までに、サンテグジュペリの「星の王子さま」の新訳本を出した論創社に対し、本の扉裏やあとがきに「星の王子さま」の書名は岩波版の翻訳者の内藤濯(あろう)氏の考案であることを、重版分から明示することなどを求める要望書を出した。論創社の森下紀夫社長は「あとがきではすでに触れているが、翻訳者と相談して対応を決めたい」としている。
さらに岩波書店、宮部編集局部長は「基本的には、新訳にふさわしい別の書名をつけるべきだと考える。それでも『星の王子さま』を使いたい場合は、先人の創造的な営為に対する敬意を示してほしい」とコメントしたそうだ。

おかしな話です。

確かに、内藤氏の考案した「星の王子さま」というタイトルを流用するなら、氏に敬意を表するのは当然でしょう。

また、本の題名には著作権は及ばない、ということですので、他社がそのタイトルを使用するのを止めようがない、というのも仕方のない話だと思います。

すべては翻訳者、あるいは出版社の自主性にまかされる、というのも当然の話なのでしょう。

翻訳者としては別のタイトルをつけたいとしても、出版社が許さないこともあるでしょう。

ですが、各社が「星の王子さま」を使用せざるを得ない状況を作ったのは、当の岩波書店ではないでしょうか?

そう、解せないのは「別の書名をつけるべきだ」という岩波書店の姿勢なのです。

彼らは半世紀にわたって「『Le Petit Prince』の邦題は『星の王子さま』である」という概念を一般化するために動き続けてきたのですから。

映画や書籍において、邦題が原題を必ずしも反映しないということは、日本人なら誰でも知っていることです。

昔と比べると、原題をカタカナ表記にしただけの作品も増えてきましたけど、そうばかりでもありません。

それらの邦題は大抵、一般化します。当たり前です。一般化されることを狙ってやっているんですから、他の邦題が浸透してしまっては困るわけです。

まあ、そんなわけで内藤濯が『Le Petit Prince』の訳題を「星の王子さま」としたところで、何の問題もありません。

他の出版社の「敬意」を表した「あとがき」には「卓抜な着想」などと書かれているものもありますが、僕はこの邦題が素晴らしいとは特に思ってはいません。

だから、他の出版社がわざわざ踏襲するほどのタイトルではない、とは思うのですが、問題なのは、この邦題が一般化してしまっていることなのです。

当たり前ですが、岩波書店内藤濯も別に『Le Petit Prince』の著作者ではありません。

日本における商品化権の管理を委託されている会社は別に存在しますし、「星の王子さまミュージアム」なんてものもあります。『星の王子さま プチ★プランス』というTVアニメーションもありました。宮崎あおい主演のミュージカル『星の王子さま』も記憶に新しいところだし、スタンリー・ドーネンミュージカル映画『The Little Prince』の邦題も「星の王子さま」でした。数ある『星の王子さま』の関連書籍だって、別に内藤訳『星の王子さま』について論証するためのものではないでしょう。

つまり、岩波書店は「一般的に『Le Petit Prince』を日本では『星の王子さま』という」という認識を世間が持つのを容認してきたのです。いや、むしろ推奨してきたと言った方がいいのかも知れません。

そんな自覚はなかったのかも知れませんけどね……。

ともあれ、『Le Petit Prince』がパブリックドメイン入りした途端、後続の訳本に対してのみ、態度を変えるのは、早計でした。

逆に「どんな邦題にするかは自由だが、内藤濯に敬意を表してできれば『星の王子さま』という邦題にして欲しい」と言った方が(実際に言ったら変ですが)、態度としては一環したものになったでしょう。

星の王子さま」は内藤濯の創作だ、と主張する気持ちもまあ、わからなくありません。自分たち以外の出版社から訳本が出ることなんて、想定していなかったでしょうし、後出の連中に掠め取られてしまうような気分になってしまったのでしょう。

ですが、岩波書店はその珠玉なタイトルであるはずの語句「星の王子さま」を、サン=テグジュペリ権利継承者側に商標登録させることを許してしまっています。

これは止めるべきだったと思います。少なくともこのタイトルが内藤濯氏の独創である、という態度をとるのであれば……。

まあ、現実的な話として、結局、新訳本たちは、みすず書房『小さな王子さま』を除いて、「星の王子さま」というタイトルを継承してしまっています。

ですから、実質的にはやはり『Le Petit Prince』の邦題は一般的には「星の王子さま」だと、捕えて構わないのかも知れません。

ですが、岩波が「新訳にふさわしい別の書名をつけるべきだと考え」ている以上、『Le Petit Prince』と「星の王子さま」とは乖離して考えざるを得なくなってしまいました。一般的な邦題ではないそうですから。

……書き分けに苦労しそうです。というか、してます。

星の王子さま」というキャッチィなタイトルを世に出した者としては、一般化が勝利だったのか、独占が勝利だったのか……。

どちらにせよ、どちらの勝利も手放してしまったのですから、肩をすくめるしかないのです。